1984年(昭和59年)8月23日。「和美さん事件」
 長崎東高校の女子高生が殺害された事件です。
 テニス部の早朝練習で登校した彼女の遺体は、立山公園の茂みの中で発見されました。
 訃報を知ったのは、受験合宿中の雲仙のホテルで。
 亡くなった和美さんは1学年下で面識はなかったけれど、犯人には憤りを覚えました。
 しかし、さらに腹が立ったのは、周囲の男子生徒が不謹慎な冗談を言い合っていたこと。
 通学路で刑事の聞き込みを受けた同級生が、ドラマのような体験に感激して「俺も刑事になりたい」などと的外れな感想でクラスが盛り上がっていたのも、はらわたが煮えくり返る思いだった。
 心の底から嘆き悲しむ友人たちがいる一方で、全くの他人事として涼しい顔をしている生徒たちが少なくなかったことに、ぼくは衝撃を受けました。

 あれから長い年月が流れました。
 故郷を捨てて音信不通になっていたぼくが、久しぶりにセンチメンタルな一人旅で長崎へ帰省し、ひとりで母校をふらりと訪れました。
 変わらぬ校舎の門。ピロティ。グラウンド前の演劇部の部室。
 学校のすぐ下の立山公園。
 公園内の一角に、和美さんの慰霊碑があったはずなのですが、どこを探しても見つかりませんでした。公園は再整備されて、すっかり姿を変えていました。……まさか、撤去されたのでしょうか?
 慰霊碑には、
花のように 空のように
と碑文が刻まれていたと記憶しています。
 ぼくは公園を出て、高校時代に何度も歩いた長い長い坂道を降りて行きました。
 坂の途中で、和美さんの実家が営む米屋さんがあるはずでした。事件直後、父親と思われる人が店の前で健気に立ち働いていた姿も思い出します。
 しかし、米屋さんも見当たりませんでした。どこかへ引っ越したのでしょうか。
 街に降りると、そこもすっかり変わり果て、見知らぬ街のような風景になっていました。
 ぼくだけが異邦人で、独りだけ取り残されたような気分になり、呆然と風景を眺めていると、街全体がすっかり別人のように、よそよそしく感じました。
 ぼくは、用意した供え物と線香を使う機会もなく、長崎を後にしたのでした……。

 あれだけ世間を騒がせて大ニュースになった事件ですが、今、インターネットを調べても殆ど出てきません。
 時の流れの無情さ、人の心の移ろいに、少し寒い風を感じます。