1983年。僕らが高校2年生の秋。長崎県高校演劇大会。
場所は長崎市公会堂。
僕たちが上演した劇は、「山椒魚だぞ!」
今思えば、荒削りで情熱と勢いだけだったかもしれないけど、あの日、僕たち全員の思いは1つとなって、何か素晴らしいものが生まれた舞台だった。
ラストの群衆シーンでは、キャストもスタッフも観客も審査員も一体となった感じがした。
もしも、長崎東高校で演劇部に入っていなかったら…と想像すると恐ろしい。
当時の僕はかなり屈折していて、そのままだと犯罪者になっていたかも。
世界のポジティブな面を教えてくれて、みんな、ありがとう。
実は卒業して約10年後に一度だけ、上田君から電話があった。
真夜中の突然の電話だった。
用事があるわけでもなく、ただ、「あの頃は良かったよな。今、同じような情熱が持てないんだよなあ」と言っていた。
実は、当時の僕も、血も涙もない仕事で疲れ果てていたので、彼の言いたいことに痛いほど共感した。
何時間、二人で話していただろう。最後に上田君は「話せて良かったよ」と言った。
それが僕が聞いた最期の声だった。
訃報を耳にしたのは、僕が海外赴任していた頃だったと思う。
日本から離れていたせいか、現実味がなく信じられなかった。
だから、ずっと確認せずに時を過ごしてしまった。
あの夜、上田君からかかってきた電話について、時々思い出すことがある。
(この写真と文を亡き上田君に捧げます。)