画家ダッド 「お伽の樵の入神の一撃」 | 【 未開の森林 】

画家ダッド 「お伽の樵の入神の一撃」

九年間描き続け、それでも未完で終わった「お伽の樵(きこり)の入神の一撃」には、心理学でいうホラー・ヴァキュイ(虚無に対する恐怖)が明らかに表現されています。与えられた画面の比較的に小さなサイズ(54cmX40cm)に反して、描かれた光景の精密度は圧倒的です。


原語のタイトルは The Fairy-Feller’s Master Stroke で、日本では一般的に「お伽の樵の入神の一撃」という題が使われていますが、「妖精の木こりが放つ神技の打撃」と訳せば意が伝わると思います。虫眼鏡を使って丹念に塗られたキャンバスには何層もの絵の具が重ねられ、光の具合によっては立体的に見えるといわれています。

リチャードはこの作品について詩形の長い説明を書いており、絵画に登場する各人物を紹介しています。


中央に潜む白髪の魔術師が全ての出来事を操り、言うことを聞かない小妖精の頭を叩くための棍棒を左手に持っています。


ほとんどの登場人物は、ヘーゼルの実を真っ二つに割ろうと斧を振りかざす妖精の木こりに注目しています。これはシェークスピアの劇「ロミオとジュリエット」から着想を得ていると考えられています。ケルト神話に起源を持つ妖精の女王マブを歌った一節に、彼女がヘーゼルの実で出来た馬車に乗っているという一行があるからです。


画面の右側には十七世紀頃の衣装をまとい、羽根付きの帽子を被った二人の紳士が妖精の木こりを見守っています。


中央上部にウェールズ風の尖った帽子を被った魔女・女王ティターニア・妖精の王オベロンがいます。


左の方に、太いふくらはぎと極端に細い足首の女中が二人、ホウキと鏡を持っています。右の女中の足の間に、スカートの中を覗くいたずらっ子のエルフがいます。


その下方に立つ小人の夫婦。



絵の一番上には、童謡からの人々(農夫・洋服職人・鋳掛け屋・薬師・泥棒など)が並んでいます。


個人的に印象深いのは、画家ダッド自身に似た老人が描かれているところです。途方にくれた表情、怯えと混乱が宿った目つき、かがんだ姿勢。あまりにも可哀想な人物なのですが、ユーモアを含んだ描写でもあります。これを描いているときのリチャード・ダッドは狂気について考えていたに違いなく、彼は自分の置かれた状況を少々可笑しく捉えていたようにみえます。


この不可解な作品の解釈にこの老人が鍵だと考えています。注意してみると、絵画の出来事の中心となっているのは、斧を振りかざす妖精の木こり、真っ二つに割られる直前のヘーゼルの実、そしてこの老人です。

 
木こりの後頭部          若い頃の自画像

独断の解釈ですが、この妖精の木こりは若い頃の画家ダッドである可能性があります。ヘーゼルの実を割る彼を不安に眺めている老人が、老年の画家ダッドだとすれば、この光景は彼が自らの心を断ち割る瞬間を描いていると見えます。心理状態の完全性と成長性を表すヘーゼルの実が二つに割られる。それは正に彼の人生の転機となった狂気の体験を示しています。

ある説によると、この絵画の全ての人物は時間が凍ったように止まっており、妖精の木こりがヘーゼルの実を割ったとき、自由になり、動き始めるそうです。