突然ですが、有名なイソップ童話の「アリとキリギリス」の話は知っておられるでしょう。
しかし、この話は元々は「アリとセミ」だということはご存じですか。
欧州にはセミがいない国もありますから、そんなところではピンとこないと思って翻訳の時に「キリギリス」に変えたのだそうです。
そう云えば、フランスでもタイトルは「La Cigale et la Fourmi」(詩人のラ・フォンテーヌの訳があります)ですから、セミですね。
パリなんかにはいないようですが、南仏ではセミの声をよく聞きます。
余談ですが、日本人の場合は虫の声を、言葉や音楽と同様に左脳で聞いているのに対し、欧米人は雑音を聞くのと同様に右脳で聞いているのだそうですね。
だから、日本人は情緒を感じるわけです(「左脳利き」の人と「右脳利き」の人がいるという説は否定されているとのことですから、真偽のほどは定かではありませんが)。
それに、フランスの虫はセミに限らず、あまり美しい声では鳴かないような気がします。
それはそうと、イソップ童話には教訓がつきものですが、今はなんと教えているのでしょう。
真面目に働くことの大切さを強調するのはいいとして、困っている人を見捨てたことはどう説明するんでしょう。
自業自得だからほっとけばいいと教えるんでしょうか。
まあ、最近は昔話や童話の結末を改変するのは当たり前みたいですから、ひょっとしたらアリは説教でもした後、キリギリスを家に入れてあげるか、そこまでしなくても、食べ物を分けてやり、キリギリスは改心するといった内容になっているかも知れません。
思いついたのですが、家に入れてあげたキリギリスがアリ一家を皆殺しにして全部乗っ取ったらスリラーになりますね。
このほうが話としては面白い。
冗談はさておき、ちょっと調べてみたら、やはりアリがキリギリスに食べ物を与えてやり、働くことの大切さを説くとか、アリがキリギリスに食べ物を与えてやり、また春には音楽をきかせてほしいとお願いするといった改変がされている本もあるようです。
しかし、よく考えてみるとキリギリス型の人生も悪くないような気がします。
キリギリスは天才型の享楽主義者で、太く短く生きるわけですから。
もともと長生きなんかしたくないかも知れないし。
それに、仕事に生きがいと言うか、達成感が得られるのならば良いですが、ただ営々と働いて報われずに死んでいくのはあまりぞっとしないですね。
ただ、私は胴周りは太いですが、もう太く短く生きると云うには年と取りすぎていますし、才能もないので、享楽的と云うよりも自堕落にしか生きられないでしょうが。
では。