こんにちは、土井英司です。

 

ひさびさの更新。それもなぜかサルディニア島からです。

 

というのは、長年憧れていたホテルに泊まり、きれいな海を見ているうちに、ふとある考えが浮かんだからです。

 

それは、「浦島太郎は、40代のために書かれたのではないか」という仮説。

 

どういうつながりがあるのかわかりにくいと思うので、順を追って説明しますね。

 

先日、ご招待いただいて参加した、ベストセラー作家・本田健さんのセミナーで、本田さんがこんなことをおっしゃっていました。

 

「僕は今、自分が小さい頃に見た夢のなかを生きています」

 

この話を聞いた時、自分も「ああ、今自分は夢のなかを生きているのか」と、

妙に腑に落ちたことを覚えています。

 

素晴らしいですよね。

20代、30代を頑張った人には、40代以降に夢を楽しむ権利と時間が与えられるのです。

 

このことをウォーレン・バフェットの言葉を使って説明しましょう。

 

「成功とは望むものを手に入れることで、幸福とはそれを楽しむことだ」

Success is getting what you want, happiness is wanting what you get."


つまり、人生は手に入れるのが半分で、楽しむのが残りの半分なのです。

 

ところが、欲しいものを手に入れるために必要な資質であった勤勉や倹約は、人生を楽しむのに邪魔になることがあります。

 

バフェットが最初の奥さんと上手く行かなくなったのも、それが理由でした。

 

だから、手に入れた人には、それを心ゆくまで楽しむことをおすすめしたい。

 

ただ、土井が今日申し上げたいのは、その先の話です。

 

心ゆくまで楽しんだ後は、どうするのか? という話です。

 

哲人皇帝マルクス・アウレリウスが『自省録』のなかでこんなことを述べていました。

 

「円形闘技場やその類いの場所において演じられるものは、いつも同じ見せ物であり、同じ類いのものが見物を退屈なものとしているがゆえに、おまえを不快にする。まさにそれと同じような目におまえは人生全般においても遭うのである」

 

これを読んで、長年の疑問が解決されたのです。

 

「なぜ金持ちが読む雑誌には、旅の情報や高級品、グルメ情報ばかりが載っているのか?」

 

つまり、彼らは退屈なのです。

 

退屈で仕方がなくて次の刺激を求めるが、それも満たされてしまい、また次の刺激を求めてしまう……。

 

これがずっと続いたら、どうなってしまうのか?

 

人生が無為なものに感じられてしまうんですよね。

 

だからこそ、「人生こそ最大のエンターテインメント」という考え方へのシフトが必要になる。

 

だからエリエスには、出版にチャレンジしようとする人が絶えないのかもしれません。

 

で、やっとここで浦島太郎のお話です。

 

みなさんご存知の通り、浦島太郎はとても真面目な青年でした。

 

ある時、亀がいじめられているのを見た浦島太郎は、いじめられっ子たちと交渉し、亀を助けてやります。

 

そのお礼に、竜宮城に招待を受けるのです。

 

今日の前半の話とくっつけると、要するに浦島太郎は成功するのに必要な条件を満たしていた青年で、それゆえに成功した。そして、人生を楽しむチャンスを手に入れたのです。

 

ただ、楽しんだ時間が長かった。

 

もっと早く戻って来られたら、彼は竜宮城で英気を養い、もう一度人生を生き直すチャンスがあったでしょうし、世の中の流れからも取り残されずに済んだでしょう。

 

でも、彼は長く居すぎた上に、俗世に帰ってみたら、あまりに世の中が変わり過ぎていたため、不安になってつい玉手箱を空けてしまった。

 

そして、玉手箱を空けてみて、こう言われてしまったのです。

 

「あなたは年をとり過ぎました」

 

40代は、人生を楽しむことのできる、素晴らしい時間です。

でも同時に、「もう一度生き直せる」タイミングでもあるのです。

 

だから、こう思うのです。

 

「浦島太郎は、40代のために書かれた」と。

 

もちろん、成功にも健康状態・意欲にも個人差がありますから、これを「50代」「60代」と読み換えていただいても構いません。

 

ただ、人生の残り時間を考えた時、楽しむのはほどほどにしておいた方がいい。そして生き直すにはタイミングがある、ということを申し上げたいのです。

 

土井は、今年で42歳になりました。

今から新たなことに挑戦すれば、あと20年はまた成功と幸福を楽しむことができます。

 

そして願わくば、62歳になった時、まだ生き直す気概と寿命が自分に残っていますことを。

 

みなさまの人生が豊かなものになるよう、お祈りしています。