こんにちは、土井英司です。


先日読んだ、『人生を励ます太宰治の言葉 』のなかで、

学問に関する太宰の言葉を見つけました。


<日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの
人格を完成させるのだ>


これは以前、藤原正彦さんが、東京国際ブックフェアの講演で

おっしゃっていたことと通じます。


藤原正彦さんがおっしゃったのは、「何の役にも立たない学問が、大局観を作ってくれる」

というものでした。


また、ノーベル化学賞を受賞した福井謙一さんも、

広く学ぶことの重要性をおっしゃっています。


では、一体学ぶこととは何なのか。太宰はこう語ります。


<覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベ

ートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語
をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ>


英語では哲学のことを「フォロソフィー」と言いますが、

これは、ギリシア語の「フィロ」(愛)+「ソフィア」(知)から来ています。


つまり、知を愛すること。


知を探求する過程で、いろんな人を理解すること。

理解することで、いろんな人を愛することができるようになること。

それが学問の素晴らしさではないかと思っています。


土井は、たくさんの本を読んでいますが、

一冊の本からつかめるのは、ほんのわずかなエッセンス。

でも、一冊を通じて得られる思考と、そのひとつかみのエッセンスが

あれば、それだけで読書した甲斐があるというものです。


ちなみに太宰も、こんなことを言っています。


<全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が
残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん>


そして、とどめはこの言葉。

すぐに学んだことを役立てようとする実業家にとっては、

耳の痛い話ですが、おっしゃる通りではないでしょうか。


<学問を生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆっ
たりと、真にカルチベートされた人間になれ!>


真にカルチベートされた人間になるために学ぶ。


今一度、この姿勢に戻って、今日も読書したいと思います。