母の日と デート直前準備と 永遠の別れと | エリーのラヴ・ラボラトリー

エリーのラヴ・ラボラトリー

好きなモノや愛しく思うモノ
そんなあれこれのお話

ブログは随時更新中!
過去日記非公開分も公開中です!!

昨日は母の日でしたが、残念ながらうちの母は町内会の旅行に出かけてしまいました。
でも、母の日のプレゼントは先日金曜の会社帰りに、ちゃんと渡してきましたよー!
今回も抜かりなしです(*´ω`*)

今年は白いオーバーブラウスにしました。
オーガンジーの花と葉のモチーフが、さりげなくアクセントになった五分袖なので
多分これからのシーズン、着こなし含めてかなり使い勝手がいいはず。
中にハイネックを着てもよし、キャミソールなら前ボタンを外して羽織る感じでよし
スカーフやショールをウエストマークで結べば、ワンピース風にも見えるし
母にも着こなし方を伝えてきたけど、とても喜んでくれましたよ(*´∀`*)

で、肝心の昨日の私はといえば、久々に美容室に行ってきました。
ちょっと想定外でしたが、長かった髪もバッサリ切り完全なイメチェンになりましたよ。
(あんまり切らないでって伝えたのに、長さは半分まで短くなりました(苦笑))

とはいえ、もともとがスーパーロングだったので、セミロングよりのロングに。
そして今までは後ろに少し段を入れただけの、垢抜けないロングだったけど
全体的にハサミですいてもらったので、クセがいい感じにくるくるとしてるので
ちょっとだけおしゃれっぽく見えるかな?という感じに仕上がりました。

でも、この髪型って・・・?
30代頃の私が、自分でカットしてたのと同じ技法の切り方してるんですけど(*´艸`*)
仕上りは予想通り、あの頃の私の再現になってました。
初めてのお店でオーナーにお任せしてたとはいえ、同じ髪型にされるとは!!(笑)

これはたぶん何かの啓示というか、その時代のアクティブさを取り戻せってこと??
かもしれないなーと思いつつ
とにかく、だーりんとの初デートに向けて、歯医者も行ったし、眼鏡も作り変えたし
コンタクトも復帰すべく、眼科に行って検査しまくって処方箋も出してもらったし
そしたら別の眼科の処方箋で出されたレンズ度数より、はるかによく見えるし(*´∀`*)
度数の違いも試させてもらえたしで、なかなかいい経験をさせてもらえたし
うん、なんか流れ的に駆け足になってますが、いい感じに進んでます。

ところが、そんな昨夜に思わぬ訃報が。

5年程前から難病指定の小脳萎縮症に掛かっていた義姉が、亡くなりました。
享年60歳、早過ぎる人生に幕を下ろしましたが、残された兄や甥っ子の気持ちは
どう推し量ろうにも容易にできるものではありません。

呼吸困難で救急車で救急に運ばれ、一時心停止したものの蘇生後一旦帰宅した兄は
夜8時少し前に病院からの知らせを聞き、更には診断書が書けない理由で警察管轄になり
(掛かりつけではなく、救急病院だった為か難病指定だったからかは不明)
本日警察の診断書が出次第、葬儀場へと移動になります。


親しい誰かの死に直面する機会がある度に、考えさせられることが毎回あります。
祖父、恋人、恩師、親戚、父、そして今回は義姉と多くの場面を経験する度に思うのは
この世に残された私達が、この経験から何を学びこれからどう生きるかということ。

いつの場合でも明らかに言えることは、もうその人のいない世界になったということ。
何をしようにもすでに何もできす、やり残してしまったことはもう永久に失われること。
でも、人は忘れやすい生き物だから、月日に追われて生きるうちに
後悔先に立たずとか、大事なチャンスを逃すとか、そういう大切な事を忘れてしまうから
そう、大切な事やタイミングを見誤って後悔しないように故人から教わる気がします。


兄家族が、幸せだったか不幸だったか。
ましてや義姉や兄本人がどうかなんて、本人達でないとわかりません。
だからここで、それでも幸せだったねとか、なんて不幸な話だとは
誰も言えないし、言わせたくないし、言ってほしくないなって改めて今回思います。

今までは、他人様の訃報を聞いて、それについての第三者の無責任な発言について
ちょっとした嫌悪感をもって、それ以上あまり深く考えた事もなかったけれど
発症からずっと兄とまめに連絡を取り合い、兄家族を見守ってきた私から見れば
他人が安易に幸が不幸化を決めつけるのは、間違ってるなって思ったんですよね。
でもこれも、今回の事を通して深く学べたことだと思います。


人の最期ってあっけない。

 改めて
 今を大事に生きる
 先送りしないで日々懸命に生きる
 大切にしたい人を大切にする

これらをしっかりやっていかないといけないって思いました。

今日も最後まで読んで頂きまして
ありがとうございました。