シタと付き合って2年
わたしの連れ子と共に
それから結婚し、二人の息子をもうけ



結婚2年目の時。


この年が、地獄の始まりだった。



わたしや家族は、
シタ夫の身勝手行動
決断に振り回され

シタ夫母による都合の良い嘘と、
シタ夫は地元帰りたさに、
東京に騙し討ちで連れて行かかれ、
10年過ごす事になった。



この時まで
長男小学一年・次男2歳・三男生後半年。

要は、年子を産み、わたしは産後6ヶ月。


仕事は産休中・シタ夫はわたしの知り合い経由で飲食に勤めていた。
基本二馬力で、生活費や家賃の掛からない、余裕ある生活。



東京に行くと言い出した経緯は、
・親が住む所を用意してくれ、家賃なし
・親の会社に入り、2、3年の内に継ぐ
・給料は4、50万
・気候が全く違うし、用事があれば私は土地勘無いから、俺が必ず付き添う。
・年子産んで産後だしもう仕事せずに子供達だけ見て居れば良い。



わたしは下宿管理の仕事で、
下宿横に社宅・電気高熱水道代無料
食堂の食材使い放題という環境で
給料は諸費用引いてもかなり手元に残った。

その代わり、早朝4時に起きて下宿人の朝食支度、夕飯の支度に、館の掃除、鍵や部屋の管理など。
その代わり、割り振りは大体自由だった。


バツイチ子持ちだった頃から勤めていて、
当時から私には、ありがたい職場だった。

なぜなら、幼い一人息子は体が弱く、何かあればすぐに動くことが出来たから。
仕事しながら一緒にいることができたから。


大家さんも、女手一人で子供を育て上げた人だったので、シンママにはとても理解があり
色々と協力もしてくれた。
再婚を喜んでくれ、産休もくれた。



そんな産休明け間近に、
しかも急に!
お世話になったのに!



でも結局、シタ夫は譲らず。



シタ夫の家庭環境は、
金はあり裕福だったけど
子供の情緒を育てるには最悪な環境だった。



義父は愛人を優先し、
姑とシタ夫兄弟は、子供の頃からほとんど構って貰ったことがない。

義父は再三離婚を要求したが、
姑は勝気で離婚を認めず
そこで義父は、愛人を作ったのが、経緯。


どんなに詰られようが、殴られようが、自宅に愛人連れ込まれようが 意地でも離婚(ほぼアスペ確定)しなかった。


夫婦喧嘩がひどい時は
シタ夫兄弟は、小学生年長年少の二人で深夜、終電で祖母宅に行かされたというエピソードも、、、
(子供達だけで深夜電車なんて、昭和だから出来たんでしょうね、、、)



母親はいつも仕事で滅多に会わず、
いつも兄と二人でいたり、
たまに祖母宅にいたらしい。



だから、シタは、躾が全くされてこなかった。
温もり以外の欲しいものは何でも与えてもらえた。
金で与えられるものを愛情と変換するようになったんだろう。


礼儀やマナーなんて親から教えられず、学校やらで学ぶ程度のものしか知らない。
人の迷惑なんて気にしない。




知り合った頃は、私はバツイチ子持ちで、
彼からの猛アタックの末に2年付き合い
わたしの地元に来て、結婚。



当時は、かなり猫をかぶっていたんだろう笑
わたしも愛情フィルターもかかって居たし。

いつも話を聞いてくれたり、何かあれば飛んできて、それはもう大切に大切にされてました笑
連れ子の長男とも、とても仲が良く、
可愛がっていた。



付き合う段階から、
親や、たった一人の親友にも紹介された。
シタ夫が言ってるだけで、奴隷のような扱いで、別に親友じゃなかった。



わたしの親にも挨拶をし、連れ子も大切にしてくれて、公認の中で幸せな恋人時代

ガツガツ食べるのは、ワイルド!くらいなフィルターがかかっていた、、、プンプン




のちに結婚

次男出産立会いで号泣し
家族関係問題なく、三男出産も立会い。
共働きで、本当に幸せ絶頂だった。



今思えば、、、
甘えたい時期に周りにほとんど大人が居なく、愛着障害もあると思う。
(カウンセラー談)




そのせいか、
母親が自分の為にしてくれる事が何でも嬉しかったんだろう。
だから、断れなかったのだと思う。

そしてそれにより、
母親のそばである東京に行きたい気持ちが止められなくなったのだゲロー




仲睦まじい夫婦関係を壊した原因は、やはり
東京引っ越しだった_:(´ཀ`」 ∠):




引っ越しして1週間はゆっくり休んで観光した。
マンションの片付けをしたり、必要なものを買いに行ったり。



しかし、仕事が始まる前日聞かされた給与明細は

・給料は20万(家賃なし)
・わたしが手伝って+5万




「話が違うじゃ無い!」


シタ「俺もびっくりした」


「二馬力なら、前の半分くらいになっちゃうじゃない!話が違うよ!」



すると、シタは逆ギレ


シタ夫「来ちゃったんだし、仕事も辞めて来たんだし、もう仕方ないだろ!」
「都心に家賃なしで住めるんだから良いじゃないか!」


わたし「東京はそっちだけの都合だったのに、約束が違うのはひどい!わたしは別に都心がどうなんて思ってないし!そんなんどうでも良いし!」



シタ「あと2年もすれば俺が継ぐんだから、給料も倍以上になるから良いじゃないか!」



ショックだった。

騙し討ちじゃないか



引っ越したのは梅雨時期。
わたしは涼しい気候に育ち、暮らしていた


東京はなかなか気候も合わず、
産後6ヶ月、授乳中。
栄養が母乳にいき、慢性的な貧血だった。



約束では、生活水準が上がり、
専業主婦で子供達と居てあげられる、長男が学校から帰ったら、おかえりと言ってあげられるならと思って来た東京。


長男は鍵っ子となった。
わたしは慣れない気候・授乳中・産後半年なのに、二駅毎日歩かされ、体を崩した。




職場は、義父、義母、義父愛人がいる複雑な環境。

愛人も義母も気が強く、多分私達を呼び寄せた理由はこれかと思った。



姑は、孫を巻き込んで、義父を呼び込みたいのだ。



実際、息子は構った事ないのに、
孫は別だったようで、
義父は孫をとても可愛がった。



義母は孫を利用したんだと思う。



更に、シタは東京がホームなせいか、
態度は急変。
モラハラ気味になっていった。



夜は、シタ夫からの一方的な性交渉、
無理やり相手させられた。

産後授乳中、慣れない気候に必死で耐えて
何故こいつは性処理までさせやがる


「毎日したいくらい好きなんだ、それだけ愛されて幸せだろ?」



正直、死ねと思ったセリフだ。


日に日に怒りが蓄積した。
そのうちに、私は体の感覚が無くなっていった。
性交に何も感じないのだ。
鬱症状も出始めた。



そうこうしてるうちに、義父と義母は結局上手くいかず、結局、離婚。


姑は勝負に出たが、
孫を利用しても、ダメだったようだ。ニヤニヤ
それだけ、あの二人は確執が深い。




何故かシタは、母親が離婚と言って会社辞めるとなった時に、一緒に辞めた。




継ぐんじゃなかったのか!?



つづく。