2024.5.16 9:20頃 べるが虹の橋を渡りました🐶🌈











171ヶ月でした。





ここから先は備忘録として、べるが亡くなるまでの状況を書いています。苦手な方はここまでにしてください(亡骸の写真はありません)。





娘を保育園に送るため一階に行くと、階段のすぐ下にべるが粗相をしていたので、娘が踏まないように抱っこして玄関まで連れて行きました。






娘の保育園までは徒歩3分。






時間がなかったので、おしっこは帰宅してから片付けようとそのままでした。






おうちを出てから保育園で申し送りなどをして帰宅するまで15分ほど。






いつもなら保育園に送ったあとは真っ直ぐスーパーに寄るのですが、この日は母が夜勤でもうすぐ帰宅する時間だったので、一度家に帰ることにしました。







帰宅すると、おしっこをした場所でべるがバタバタ暴れていて、、、呼吸がおかしいことに気が付きました。






声をかけて荷物を置いてから戻ると、すでにグッタリして動きませんでした。






泣き叫びながら抱き上げて両親に電話。






反応がないのでもう亡くなっていると思って、一人ぼっちで逝かせてしまったと、、、絶対にそれだけはしたくなかった。






そうしたら、わずかに口や手が動き始めた。






そこから15分ほどは時々動かしていたけど(もう目は見開いていて無呼吸の時間もあったし反応もなかったから意識はなかったと思う)、920分頃には呼吸や動きを感じられなくなりました。






最期は私の大きなお腹の上、腕の中で安らかに息を引き取りました。






もうすぐママが帰るよ!と励まし続けたけど、母は間に合いませんでした。







今回、看取ることができたのは全ての偶然が重なったように思います。






たまたま娘を保育園に送ったあとだったこと、直帰したこと、おしっこをそのままにしていなければ気付けなかったかもしれない。






私が二人目を妊娠していなければ4月から職場復帰の予定だったけど、4月から二人目の産休中だったから看取ることができたのかもしれない。






前日までお散歩にも行って、ここ一週間ほどは食欲がなかったけど、それでも好きなものを少量は食べられていました。






最期まで寝たきりにならず、認知症にもならず、とっても親孝行な良い子でした。






いつか、いつかはその日が来ることがわかっていたし、その日が近いことも感じていました。






でも、いざその日が来るとやっぱり辛いです。






後悔がないように接してきたつもりだったけど、娘が生まれてからは今までのようにはいかず、我慢させることも多くて、私ももっとしてあげられることがあったんじゃないかと考えちゃいます。






お腹の赤ちゃんが生まれるまで間に合うかな?と思っていたけど、間に合わなかった。






ニューボーンフォトは愛犬も一緒に、とお願いしていたけどお断りしなきゃいけないのが辛い。。。






『魔の2歳児の子育てと17歳の老犬の介護、これに新生児が加わったらどうなっちゃうんだろう』と思ったりしたけど、悟ってしまったのかな、、、。






母も「これからみんなが忙しくなることをべるなりに考えてこの週を選んだのかもね」って、私と同じことを感じていたみたい。






赤ちゃんの時から亡くなるまで本当に可愛い天使のような子で、賢くて、お転婆ちゃんだしわがままもすごいけど、人間の子供と同じでした。






今のお家に引っ越す15歳まで、おもちゃやぬいぐるみも大好きでずっと赤ちゃんみたいでした。





それ以降はシニア犬らしく寝ている時間が多くて、穏やかでのんびり過ごしていたけど、それはそれで可愛くて仕方がなかった。





私の人生で一番辛かった19歳の時に家族になってくれて支えてくれた子。





私だけではなくて、いつも家族みんなの支えであり癒しでした。






初めて会ったのはちょうど17年前の5月。

















私と母の一目惚れ、でも、身体が小さくて食も細くて(後にただの好き嫌いだと判明)、ブリーダーさんからなかなか渡してもらえず、おうちに来るまで1ヶ月以上かかったし、その間にも色々な子を見させてもらったけど、この子以外は考えられませんでした。






うちに来る運命だったんだと思います。






家族になってくれてありがとう。






また生まれ変わったらうちにおいで。






いっぱい頑張ってくれてありがとう。






ずーっとずーっと大好きだよ。