ハタチの旅~ユーコン川下り~
~前略~
2013/9/2にハタチとなった僕は、新たな門出として誕生日のわずか2日後の9/4~15にカナダの極北にあるユーコン川を単独カナディアンカヌーで370km下った。
兵庫県で生まれ、岡山のド田舎にある中高一貫校で育った僕は、ひたすら東京に憧れて大学進学を機に上京した。
東京は想像通り刺激に満ちあふれており、充実した大学生活を送っていた。
その反面、新たな価値観やスケールのでかい世界を知っていくにつれ現状に満足できなくなってきている自分に気付き始めていた……。
自転車世界一周をしたことで知られる石田ゆうすけの『行かずに死ねるか!』でユーコン川の存在を知った。
カナダの極北にある全長3700kmもの大河で、そこには手付かずの広大な自然、数多の動植物、ゴールドラッシュ時代の爪痕が残っている。
夏から冬にかけてはノーザンライツ(オーロラ)を見ることもできる。
こんなにもロマンが詰まっている場所はあろうか、僕は武者震いした。
『生きている間に絶対ここをカヌーで下ってやる!』一年前の僕は誓った。
正直こんなにも早く目標を達成するとは夢にも思っていなかったが、まあそれが僕という人間なのである。
思い立ったら即行動。
これが吉とでるか凶とでるかはそのとき次第であるが、後悔したことは一度もない。
そんなこんなで航空券やらその他諸々の準備を済ませていた中、一つだけミスがあった。
それはなんと、僕はカヌーを舐めすぎていたのである。
どう舐めていたかというと、はい、カヌー未経験でした。
根拠のない自信で突っ走っていこうとしていた僕は、現地のカヌーレンタル屋のおっちゃんに、『死ぬからやめてくれ』と真剣に止められた。
そこでもアホは半信半疑だったが、渋々、出発前日に一日だけ奥多摩でカヌー訓練をすることにした。
奥多摩でインストラクチャーのおっちゃんにめちゃくちゃ笑われた。
一緒にいた人たちにも爆笑された。
うん、カヌー思ったより難しかったね。
未経験で行ってたら確実にお陀仏だったわ。
ちなみにそのとき知り合った年上の女性2人とはそれから仲良くなり、飲み仲間になったのは別のお話。
今回の旅の計画はこうだ
9/4 カナダ到着
9/5~6 現地で必要な物を調達
9/7~13川下り
9/14 ダラダラ
9/15 帰国
なぜ一週間も川下りするの?と思うかもしれないがそれにも理由がある。
石田ゆうすけは現地人に
『一週間ほどカヌーで旅をすることだ。』
『一日や二日じゃだめだ。四日目からようやく森の静けさを感じるようになる。』
『五日目には動物たちの息づかいを感じるだろう。六日目、河の流れと一体になり、そして七日目にようやく本当のユーコンを知るのだ。』
と言われたらしい。
だから、僕も一週間川を下ることに決めたのだ。
~In Canada~
機内でzippoを失くす、乗り継ぎ便が5時間程遅れるというハプニングはあったがなんてこたあない。
無事カナダに到着。
川下り出発までの宿泊場所をLead Dogというバックパッカーのためのホステルに決めた。
ただし一日目は満室のため、外の庭でテント泊することに。
宿にはドイツ人が多く、AV好きの変なおじさん、世界一周中の日本人タカさんに出会う。
ヨーロッパ人はプリクラを知らない、日本語の口説き文句に興味津々だった。
それから2日間は、釣り具を買ったり、一週間分の食糧を買い込んだり、激安の古着屋で服を買ったり、運命のZippoに出会ったり、宿で仲良くなった色んな国籍の人と庭で飲んだりドライブに連れてってもらったり、日本人の人とも仲良くなったり……etc.
つい川下りにいくことを忘れてしまうくらいに充実した3日間だった。
ついに、待ちに待った川下り当日。
昨晩の明け方まで飲んだくれていた僕は案の定寝坊してカヌーレンタルのおっちゃんを待たせる☆てへ 街から三時間ほど車を走らせた、川と自然以外なにもない場所に出発点はあった。
『ここで一週間、一人っきりで暮らすことになるのか……。』
出発前になってはじめて緊張感がでてきた。
大自然に身を投げ捨てる勇気は相当なものである。
なんせ例え自分が溺れようが熊に襲われようが、誰にも知られることはなく、ひっそりと死んでゆくのだから。
僕は、ええいままよっっっ!!と期待と不安を胸に抱き、一隻のカナディアンカヌーに乗り込んだ。
・ ユーコン川の自然
出発してすぐ、捕らえた魚を食べるハクトウワシに出会った。
カヌーを確認すると、すぐさま飛び去っていく。
人間慣れしていない、野生本能むき出しである。
それからカワウソ、サーモン、グレイリング、キツネ、ムース、リス、オオカミ、グリズリーなどを見た。新しい動物に出会うたびに胸が踊り、より一層旅を楽しい旅にしてくれた。
・ グリズリーとの遭遇
川下りをはじめて3日目、相変わらずザップザップとカヌーを漕いでいると、向かいの森から何やらデカくて2m級の黒いカタマリが出てきた。
僕はそれが何か一目でわかった。
そう、ユーコン川ヘビー級王者グリズリーである。
ユーコン川には野生のグリズリーが生息しており、カヌーをする際には襲われたとき用のベアースプレー必携である。
まさか本当に見るとは思っていなかったため、一気に緊張感MAXになった。
グリズリーとは暫くの間睨み合った末、何事もなく去ってあった。。。
かのように見えたが、なんと川を泳いでこっちに向かってきているではないか!!
川底が深かったため途中で諦めていったが、あの時は真剣に終わったと思った。
ベアスプレーを握りしめる僕の右手は手汗でびっしょりだった。
この広大な森の中ではひととき足りとも気を抜けない。
なぜかその感覚が心地よくもあったのを覚えている。
・ レッツフィッシング!
ユーコンの楽しみの一つである釣り。キングサーモンの名産地であるユーコン川には様々な種類の魚がいて、釣った魚を焼いて食べるのはこの上ない幸せだと聞いていた。僕ももちろん釣り竿をもっていき、うまい魚を食べようと息巻いていた。一日目の晩に事件は起きた。その日の活動を終え、あとはゆっくり釣りでもしようと釣りをしていた矢先、いきなり推定1mくらいのバカデカい魚がかかった。よっしゃ!と思ってファイトしていたら、ブチッと糸が切れた。お気に入りのルアーごと噛みちぎられたのだ。ガン萎えた僕は、しばらく釣りはいいや、、、とふてくされたのであった。
・ 独りきりの心細さとの闘い
はじめこそは、周りに自分以外誰もいない快感で、ヒャッホーーーウ!!
とか騒ぎまくっていたが、3日目の夜に雨が降り、グリズリーとも出会った僕は心細くなっていた。
今夜はここで寝ようと降り立った地にはグリズリーの足跡がクッキリと残っており、昔誰かが立てたであろう旗みたいなものがバタバタとたなびいていた。
もしかしてここでグリズリーに食殺された人の墓なんじゃなかろうかなどと良からぬ負の思考回路に陥り、テントの中で独り怯えていた。
気を紛らわすためにウイスキーをグイッと飲んだらだいぶ楽になり、ここで死ぬのもアリかな。
なんて気分になっていた。
気付いたら眠っており、テントを出ると雲一つない晴天が広がっていた。
一つ試練を乗り越えた僕を祝福してくれているようだった。
・ ユーコンで見た一組の家族
ユーコンも終盤にさしかかった6日目の夕方頃に、川の向こう側に煙がたっているのが見えた。
なんだろうと思ってカヌーを進めていくと、そこには3隻のカヌーとキャンプをする4人組の家族がいた。
久しぶりの人に出会い嬉しさが込み上げてきたが、その4人は家族という目に見えない固い絆で繋がっていて、僕なんかが入り込んではいけないような聖域のようなものを感じたので、黙って通り過ぎることにした。
それでも子供が僕に気付いたので手を振ると、子供が家族にそれを知らせ、家族全員で手を振りかえしてくれた。
その姿はとても暖かく、年甲斐にもなく家族が欲しいと思ってしまった。
と同時に、日本に帰ったら自分の周りにいる大事な人たち全員と、飲んでバカ笑いしたいなと思った。
普段何気なく接している人たちが目の前にいるのは当たり前じゃないんだよってことを身を持って感じれた忘れられない一瞬。
・ 最後の試練
遂にゴール目前となった最終日、最後の試練は訪れた。
今まで穏やかだった流れが、荒れ出したのである。
吹きすさぶ風、速くなる川の流れ。
このときはじめて奥多摩に感謝した。
気を抜けばカヌー転覆の危機の中、僕は奥多摩で習ったテクニックを最大限に活用し、これで死ぬなら俺はその程度の価値しかない人間だったのだ、と腹を括っていた。
次々と襲いかかる試練の中、激闘は3時間にも及んだ。
ゴール目前にしてこれでもかと酷使した手足はまさに棒のようだが、気付いたらもうすぐこの非現実世界は終わってしまうと思ったらなんだか寂しくなってきた。
そこで出発したときと同じ様に、ありったけの大声で叫びまくった。
それでもなんだか寂しい。
少しでも思い出を残そうとして写真や動画を撮っているうちに、ゴールであるCold Mine Campgroundが見えてきた。
なにやら人が手を振っている。
7日目に本当のユーコンを知るというのはこういう事だったのか、、、。
・ シェフとの出会い
無事ゴールした僕はテントを広げ、キャンプ場にあるハンバーガー屋でコーラを飲んでいた。
コーラを飲むと、一気に緊張がほぐれた。
現世に戻ってきたな~としみじみ感じる。
ブラブラしていると、釣りをしている1人の男が見えた。
釣れるかい?と尋ねると、ボチボチと答える。
やっと何となく、僕も釣りをしたくなってきた。
隣に座って釣りをしていたら、二人ともグレイリングという魚が釣れた。
僕はすっかりそのオッサンと意気投合し、二人でグレイリングを焼いて食べた。
その時の美味しさと言ったら例えようのないほどである。
雄大なこのユーコンで育った魚の身はプリップリで、こんなにも美味しいのかと驚いた。
オッサンはキャンプ場でシェフをやっているらしく、パスタも御馳走してくれた。
そのときこんなカナダジョークを頂いた。
『女の体は見た目はfishだが、中身はchickenだ』
う~ん、わかるようなわからないような。
食べ終わった後は地面に寝転がり、満点の星空を見上げた。
日本で見る星空とは比べ物にならないくらい美しかった。
次の日の朝僕はヒッチハイクをして、もといたホワイトホースまで帰ることにした。
・ 突然現れたノーザンライツ(オーロラ)
ヒッチハイクは10分程度で捕まり、スムーズに宿に戻ることができた。
そこには出発前に仲良くしていた世界一周中のタカさんがいたので、今夜こそはオーロラをみるぞ!と二人で張り切って夜中に外へ出た。
これまで一週間以上いたのにまだオーロラを見ることができていなかった僕は半信半疑になっていた。
タカさんお気に入りのスポットでしばらくそらを眺めていたがいっこうに現れる気配はない。
それでもタカさんの『あるとき急に現れる』という言葉を信じて待つことにした。
するとどうだろう、突然うねうねした光のカーテンが頭上に現れた。
そのカーテンは、どんどん大きくなっていく。
動きは想像していたよりもずっと速い。
光のカーテンは数を増し、幾層にも折り重なって、とうとう夜空いっぱいに広がった。
そしてあるときに爆発するように消えてゆく。
この不思議な光景を、僕は放心状態で眺めていた。
オーロラこそ、自分の目で見てはじめて美しいと言える。
ハタチの旅を終えて
旅欲というのは尽きることがない。
行く場所によって得られる経験は違うし、自分の中の価値観はどんどん変化していく。
よく「自分探しの旅」という人がいるが、僕はその言葉は嫌いだ。
だって、旅に行かへんと自分を見つけられへんの?って思うから。
日常生活で自分というものができていく中、時たまその価値観をぶっ壊すために旅に出るんでねえかい?
だから俺の旅は「自分創りの旅」です。
これに共感できるひとは、これからはそう言ってください。
では、これからのエリックに乞うご期待!!!!!
とりあえず自己紹介
1993年9月2日、神戸で在日韓国人として生を授かり、記憶にない阪神淡路大震災の被災を機に隣の西宮に移る。
小学四年生のときに宮崎の祖父母の「寂しいよ」という言葉を聞き、家族を置いて宮崎に転校する。
小学六年生のときに西宮に戻り、中学受験を経て岡山の中高一貫校に進学。
中高六年間を柔道部、丸刈り、男子寮というむさ苦しさMAXな環境で暮らす。
(中学二年生の夏休み、オカンに半強制的にオーストラリアへのホームステイに送り込まれる。)
大学進学を機に上京。
何を間違えたかまたもや男子寮に入る。
男子寮でもまれながらも大学の探検部に所属し旅をしながら、在日韓国人団体の会長を務める。
おおまかなプロフィールはこんな感じ。
これを見てどんな風に感じますか?
・アクティブだなぁ~
・在日韓国人?糞じゃん
・おっぱい
人によって違う感想を抱くかもしれません。
だけれど、僕はこのプロフィールだけでは感じ取れないほど多くのことを考え、成長してきました。
その成長の過程には僕のドス黒く穢れた部分、アホな部分、好奇心旺盛な部分、負けず嫌いな部分、目立ちたがりな部分、飽きやすい部分、素直な部分、臆病な部分など様々な自分が潜んでいます。
そこで今までの自分を振り返り分析することで過去にサヨナラバイバイし、未来の更なる飛躍へコンニチワするのです。
コンニチワ!!!!!
NEWオレ!!!!!!!!!!
