私は使命というものをないがしろにしているわけではないけど、ガッツリと強く濃く受け止めてはいなかった。

師匠から薦められた本でわたしのいる場所を思い出したということがあった。
その直後にこのタイミングでまた真奈美さんからの使命についてのメルマガ・・・信じないわけには行かない。

信じないわけではない。
だけど、私にとってこの行うべきことは、私が持つ多くの行うべきことのひとつに過ぎない。
私がやるべきことはたくさんある。
点だけ見ていては他の多くを見逃してしまう。
目線を広く持つ。
そうしたらわかってきた・・・自分自身のために何が必要か、
そして求める先にあるものは何か。
自分がすべきこと、自分が求めること。

何にもまっしぐらに進むことができず、飽きっぽいと思っていた私にはすべきことがたくさんあるのだ。
そしてこれと決めてまっしぐらに進めるもの・・・それは、自分の幸せを想うことなのだ。
幸せの内容は他の人には関係ない。

この現象は人に説明できないし、多分求めるものの話も理解してはもらえない。
でも、それでよいのだ。
それが当事者であろうと、理解など必要ないのだ。
私の使命のひとつを、これが私の使命ですと人に伝える必要もないのだ。

自分が理解し、自分がそれを想っていればそれが自分の幸せの始まりなのだ。

今まで、スピリチュアルが私の使命だとかいろいろ言われてもどうもぴんと来なかったのはこれが原因だ。
一見使命に見えるその先に本当の使命があるのだ。
これでいいんだ。

私は私のために生きるんだ。
それが他人を求めることであっても、自分が自分のために生きているならばそれでいいのだ。
ある考え方に凝り固まって自由な発想が出来ない人に理解を求める必要はないのだ。