暮れの季節のうたを誰に贈ろう・・・
花のない公園に?
それとも冷々と佇んでいる
枯れたポプラの枝先に・・・?
窓に移りゆく絵のように
時はゆるやかに流れていく
刹那の煌きをとどめようと
心はせわしく動き出す
晴れた日には青い光に
薄陽の残す 淡い影に
雨が降れば雨に
沁みて浸す大地の奥に
露を宿す 銀の玉の草むらに
風が吹けば風に
野を渡る緑の香に
山翔ける 涼しき気配の雄々しさに
夜がくれば考える
きらきらと輝く星の伝説
煌々と照らす月の物語
語り部の
優しき声にときめいて
あの美しい朝のこと
潮騒が遠く聴こえる海のこと
魂はいつも
空となって雲となる
生きるという
ただひとつのことのために・・・
(初稿・2009/12/29)
数年前の年の暮れに書いた記事だけど
朝から早速だったり昼間も
やっぱりこんなことを考えていたり
そして夜になると・・・
こうして深夜起きていてひとり冷たい空気の中に居ると
「星の伝説」 や 「月の物語」 が、
聴こえてくるわけでもなく、目で追うわけでもないのに、
なぜかそういう、
おとぎの世界めいたことと、心のどこかが繋がってしまうような気がして
なんとなくときめいてしまうのはなぜなんだろう・・・
頭から離れない悩みなんかがある時などはもちろん、
そんなことは思いもしないのだけれど
楽しい気持ちの夜だけだとは限らず
そう幸せでもないような、普通とすべき時やそして、
ちょっとだけの、すぐには解決しないような持続的な憂い事を持ってる時や
そうでもなくて、結構深刻な問題の渦中にあっても・・・
そうそう・・・だから、
心の中に、ホンの少しでも自分の時間を入れる隙間さえあったら ってこと・・・?
かといって、具体的に誰かや何かが、
傍らに居て語ってくれるわけでも
魂がそんな場所に
テレポートするわけでもないのにね
なぜなのかわからない
でも、ずっとずっと
小さい頃からそうだったような気がする
なぜなんだろ
いくら考えてもわからないと
知っているのにどこかに答えがあるような気がして
そんなこともずっと
夜になると
考えてみてたような
気がする・・・
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つい数日前のことだけど
テレビを点けたとたん、ある人が映し出されていて
こんなことを言っていた
「何かを創る行為は、人生を豊かにするのではないでしょうか。」
なんの事だろう・・・? と続けて見ていると
NHKの、スマホで写真を撮る講座、のような番組のようで、
次の場面で堀内孝雄と堀ちえみと一緒に立っていたその人は
2人を生徒として教える講師のようだった
短い簡単な言葉ではある
どこにでも転がっている言葉のようでもある
だけどなぜかそのとき、風のように心にスゥ~ッと入ってきた
そういう言葉、であるが故、なのか・・・
そうそう、そうだよね・・・
ブログだって創造してゆく物だもん・・・
ゆっくりしている間もなく、スイッチを消して、
階段を駆け上る足取りは軽やかになってた・・・(笑)
とりとめのない
どうでもいいようなお話ばかりでごめんなさい
今夜も綺麗なお月さまに誘われて・・・