天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
(中原中也「朝の歌」より一部抜粋)
朝・・・ ゆっくり起きていい朝、など・・・
目覚めた意識が外界を感知していくためなのか
視界が天井から窓の方に移ってゆく
窓辺に揺らめく光、
カーテンを透いて洩れ入る光、
時々はその隙間から真っ直ぐに射している光、
天井や壁や床に浸透させているのか
あるいは戯れているのか・・・
そういう光景をボンヤリと
まだ起き出さないまま眺めている朝がある・・・
その光はその日の光
いろんな色と熱、の光
そんな中で、ひとつのイメージを想う朝がある
中也はどんな想いでいたのか・・・
きっとこんな想いでいたのではないか・・・ ?
光と空気の気配で
ある光景が頭の中に浮かんでくる朝がある
まったく勝手な私の想像で、
彼が住んでいた家とはきっと程遠い建築や
間取りのような気がするのだけれど
一瞬のドラマを見ているかのように
私の視点がその部屋の、隅あたりの天井にあり、
それがテレビカメラのように移動しながら撮り始める
そこにナレーションのように流れる言葉・・・
それが冒頭に揚げた「朝の歌」、である
この「朝」は決して、希望や明るさのしるしではなく、
彼の心はいたずらに過去への追憶に貫かれている
失われた夢の消えゆくのを見遣っている・・・
というような大方の解釈はそのとおりだと感じるんだけど・・・
それでもなぜだか、この詩が暗い心で詩われたとは思わない
あてのない心の中にも光はあったように思う・・・
この「朝」は、・・・
少なくても、落ちついた穏やかな心の朝であったに違いない、と・・・
書いてみた詩の一連の部分から順を追って
その日一番の光と共に思い出していく「朝」がある
解釈が違っていたとしても、
この言葉から流れ出す彼の気配は平和で美しい。
僅かなりとて何かが蘇ったような「朝」、
でもあったのではなかろうか・・・
と、自らの心が言葉で蘇らせてもらつたやうな朝におもふ・・・
感謝で浸された穏やかな目覚めに想う
~大切なのは武装ではなく裸になることである~
こんな言葉があるのかないのか知らないけれど(笑)
ふと浮かんできた言葉・・・
私は、武装された言葉に疲れてしまうのだと気づいた朝・・・
私は、裸の言葉に静寂を取り戻すことができるのだと気づいた朝・・・