結婚して家庭を育む、男は仕事をし女は家に入る。昔はそれだけが人生で人生はそれでよかった。現代は結婚しないで子供を持たないようなライフスタイルも全然アリだよねという価値観がスタンダードになった。
そして一昔前と比べてプライバシーが強固になり選択肢が増えすぎた今の時代に理想的なパートナーと出会い結婚に至るというのは多大なる努力が必要になっていると思う。パートナーを作る努力をするくらいなら家で寝ながら絶え間なく消費しきれない娯楽とコンテンツに埋もれ続けていた方が人生楽という思考に至る。メタバースの世界とはその究極系であるというように思える。
とはいえ人類は子孫繁栄を追求するという本能からは逃れることはできない。しかしその子孫繁栄の焦点すら揺らぎつつある時代に突入しているのではないかと思う。現代で子孫繁栄を達成したとしても何万年後にいずれ人類は滅びる。仮に人類が地球を脱出して生きながらえたとしても結局その先に待つ運命は一緒である。結局人類はいずれ滅びゆく存在であるのになぜ子孫繁栄を達成しなければならないのか?多くの人はそのような自分の存在とかけ離れた未来なんて考えなくていいと居心地悪くそこに焦点を合わせず、あるいは本能の赴くまま一瞬の人生の快楽を求める人もいる。人類にとってはそれが健全でありそれが正解でそれで皆生まれてきたと本来は納得することが出来るのだと思う。しかし自分の存在とかけ離れた時間軸に焦点を合わせることが一番居心地が良いと気付いてしまった人間にとって人生とは虚無になってしまう。いずれ滅びゆく人類を宇宙規模の時間軸の中でたった一瞬だけ繁栄させたところで一体何の意味があるのだろう。そのような途方もない焦点に囚われ続けてしまう。
インターネットを通じて多少の本能的寂しさを埋めながらたまに人生はなんと短くてなんと虚しいものなのかと一人唱え続け死に至る。それが私の未来である。このような人間は私だけなのだろうか?今の少子化の現状をみるに私のようにどうしようもない虚無感に苛まれ続け生活している私のような人間は意外と多いのではないかと思う。今後更にこのような人間が世の中に溢れるのであれば少子化に歯止めをかけることは難しい。まさにニヒリズムの時代である。
人類が子孫繁栄を求め続ける理由はかけ離れた未来に焦点を合わせないという生物的本能かあるいは人知を超えた大いなるものといった宗教的な解釈に頼るしかないのだと思う。そのどちらも持ち合わせない人はどう生きるべきなのか。その問いに私は中途半端に囚われ続けいる。