※この回の文末に画像掲載しています。
198○年、6月13日、AM9:20。
渡辺家に待望の長男が誕生した。
その名は大輔。
後に『elf』というバンドのリーダーとして、音楽はもちろん、執筆、俳優業等マルチタレントとして日本はおろか海外をも席巻するアーティスト
『だいちゃん』
彼の誕生の瞬間である。
『たわし』
彼の誕生した瞬間の第一声、いわば産声である。
産まれた病院自体は両親の故郷である愛媛県松山市だったため、本籍は松山市なのだが、産まれてすぐに大阪府茨木市に引っ越したので一応は根っからの関西人にはなる。
当然のことながら産まれてすぐの記憶はない。
今現在で一番古い記憶となると…
乳母車に乗ってる時だろうか?
意外とはっきり覚えている記憶なのだが、事の一端はこんな感じである。
当時よく母親に連れられて近所のスーパーへ買い物に行っていたのだが、時々その帰りに寄っていたマクドナルドがあった。
今と変わらず注文をした後に席へ着くわけだが、その席探しが明らかにおかしい。
普通、人が多いところよりは人ができるだけ少ないところを選ぶものだ。
だが、うちの母親はなぜか明らかな人混みの中を選ぶ。
当時から薄々感付いてはいたのだが、うちの母親は超の付く見栄っ張りなのだ。
自分の子供が可愛がられるのがよほど嬉しいのだろう。
つまり、人混みの中に入る事により、その可能性を増やそうという魂胆だ。
案の定、周りの目線はこちらに釘付けである。
あ、補足しておくが、決して僕が自分が可愛いんだぞという事をアピールしたいわけではない。
乳母車に乗るような小さな子供であれば可愛がられるのは至極当然なわけで。
今思えば、乳母車に乗ってるような幼少期にここまでの事を考えていたのが不思議でならないのだが、本当の話である。
それに気付いて以来、母親の自分を連れ歩く時の行動パターンがわかるようになった。
スーパーで買い物をしてレジへ向かう時も、わざわざ子供を褒めてくれそうな人がいる列へ並ぶ。
こちらとしてはまぁ可愛がられて嫌な気はしないが、もしかしたらそれが続くと気疲れでもしていたのかもしれない。
一番古い記憶といえばこんなところか。
ようやく歩きだした頃の記憶になるが、普段よく女の子と間違われていたのもあってか、親も含めた親戚一同の策略にハマり、若干女の子らしい事を強要されていた。
例えば髪の毛は2つくくり。
女の子チックな服装。
女の子のような仕草。
『だいちゃん、こうやってみて?』
という感じで、とりあえず言われた事をその通りやってはいたが、明らかにいじられていたと思う。
まぁ…
小さなオカマである。
幼稚園に入る頃あたりからは今でもはっきり覚えている事がたくさんある。
み○り幼稚園に入園し、確か年中組の時がバラ組。
年長組の時がサクラ組だったかな?
年中組の時の担任がとりあえず怖かったのは覚えている。
クラシックのバッハみたいなワイルドな髪型のおばさんで、保母さんらしからぬ厳格をもった人だった。
それはまぁいいとして、ちょうどこの頃に個人的にとてつもなく困惑していたことがある。
独学により微妙に漢字が読めるようになっていたのだが、そのせいで先程挙げたマクドナルドでどうしても恐怖感に苛まれなくてはならない事があった。
マクドナルドによくある、フロア数と席数が表示された看板。
『↑2階・80席』
などと書かれた看板。
この『席』が『度』に見えていたのである。
いくら独学で簡単な漢字くらいなら読めるようになっていたとはいえ、こういう微妙な違いには対応できなかったようだ。
80度という温度がどのくらい熱いかは具体的にはわかっていなかったのかもしれない。
だが、真夏の40度がものすごく熱い(暑い)のはわかっていたため、想像を絶する熱さなのだろうなとは思っていたのだろう。
このため、母親が2階へ上がろうとする度に必死に止めていた記憶がある。
まさにガクブルである。
そんな勘違いも多々あるであろうこの幼少期。
まぁこの頃の自分は、少し格好がオカマ風なだけで比較的どこにでもいるような子供だったと思う。
続く。

↑本邦初公開 若かりし頃のおかんと(笑)

↑やらされたオカマポーズ

↑チキンをガブッ

↑幼稚園時代
198○年、6月13日、AM9:20。
渡辺家に待望の長男が誕生した。
その名は大輔。
後に『elf』というバンドのリーダーとして、音楽はもちろん、執筆、俳優業等マルチタレントとして日本はおろか海外をも席巻するアーティスト
『だいちゃん』
彼の誕生の瞬間である。
『たわし』
彼の誕生した瞬間の第一声、いわば産声である。
産まれた病院自体は両親の故郷である愛媛県松山市だったため、本籍は松山市なのだが、産まれてすぐに大阪府茨木市に引っ越したので一応は根っからの関西人にはなる。
当然のことながら産まれてすぐの記憶はない。
今現在で一番古い記憶となると…
乳母車に乗ってる時だろうか?
意外とはっきり覚えている記憶なのだが、事の一端はこんな感じである。
当時よく母親に連れられて近所のスーパーへ買い物に行っていたのだが、時々その帰りに寄っていたマクドナルドがあった。
今と変わらず注文をした後に席へ着くわけだが、その席探しが明らかにおかしい。
普通、人が多いところよりは人ができるだけ少ないところを選ぶものだ。
だが、うちの母親はなぜか明らかな人混みの中を選ぶ。
当時から薄々感付いてはいたのだが、うちの母親は超の付く見栄っ張りなのだ。
自分の子供が可愛がられるのがよほど嬉しいのだろう。
つまり、人混みの中に入る事により、その可能性を増やそうという魂胆だ。
案の定、周りの目線はこちらに釘付けである。
あ、補足しておくが、決して僕が自分が可愛いんだぞという事をアピールしたいわけではない。
乳母車に乗るような小さな子供であれば可愛がられるのは至極当然なわけで。
今思えば、乳母車に乗ってるような幼少期にここまでの事を考えていたのが不思議でならないのだが、本当の話である。
それに気付いて以来、母親の自分を連れ歩く時の行動パターンがわかるようになった。
スーパーで買い物をしてレジへ向かう時も、わざわざ子供を褒めてくれそうな人がいる列へ並ぶ。
こちらとしてはまぁ可愛がられて嫌な気はしないが、もしかしたらそれが続くと気疲れでもしていたのかもしれない。
一番古い記憶といえばこんなところか。
ようやく歩きだした頃の記憶になるが、普段よく女の子と間違われていたのもあってか、親も含めた親戚一同の策略にハマり、若干女の子らしい事を強要されていた。
例えば髪の毛は2つくくり。
女の子チックな服装。
女の子のような仕草。
『だいちゃん、こうやってみて?』
という感じで、とりあえず言われた事をその通りやってはいたが、明らかにいじられていたと思う。
まぁ…
小さなオカマである。
幼稚園に入る頃あたりからは今でもはっきり覚えている事がたくさんある。
み○り幼稚園に入園し、確か年中組の時がバラ組。
年長組の時がサクラ組だったかな?
年中組の時の担任がとりあえず怖かったのは覚えている。
クラシックのバッハみたいなワイルドな髪型のおばさんで、保母さんらしからぬ厳格をもった人だった。
それはまぁいいとして、ちょうどこの頃に個人的にとてつもなく困惑していたことがある。
独学により微妙に漢字が読めるようになっていたのだが、そのせいで先程挙げたマクドナルドでどうしても恐怖感に苛まれなくてはならない事があった。
マクドナルドによくある、フロア数と席数が表示された看板。
『↑2階・80席』
などと書かれた看板。
この『席』が『度』に見えていたのである。
いくら独学で簡単な漢字くらいなら読めるようになっていたとはいえ、こういう微妙な違いには対応できなかったようだ。
80度という温度がどのくらい熱いかは具体的にはわかっていなかったのかもしれない。
だが、真夏の40度がものすごく熱い(暑い)のはわかっていたため、想像を絶する熱さなのだろうなとは思っていたのだろう。
このため、母親が2階へ上がろうとする度に必死に止めていた記憶がある。
まさにガクブルである。
そんな勘違いも多々あるであろうこの幼少期。
まぁこの頃の自分は、少し格好がオカマ風なだけで比較的どこにでもいるような子供だったと思う。
続く。

↑本邦初公開 若かりし頃のおかんと(笑)

↑やらされたオカマポーズ

↑チキンをガブッ

↑幼稚園時代