数日後、山田乙女、綾瀬すず、茅ヶ崎葵の3人は、カラオケ屋にいた。
それぞれ順番に、歌を歌っていった。
そんな中で、茅ヶ崎葵は、「鉄道唱歌」を歌っていた。
♪汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり~
5番の歌詞のあと・・・
♪鶴見神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション~
山田乙女が感心するかのように言った。
「へ~横浜駅も出てくるんだ」
「当たり前でしょ、東海道線なんだし」
綾瀬すずが突っ込んだ。
そしてカラオケは8番で終わった。
♪こたえぬ石碑は苔あおし
「この歌8番まであるんだ」
山田乙女の発言に対し、茅ヶ崎葵が説明を始めた。
「あのね、この歌は66番もあるのよ。東海道線をずっと行って神戸まで」
「え~うっそ~」
「他にも、山陽線とか北陸線とか色々出てるのよ」
「ひえ~~~」
山田乙女は椅子から転げ落ちた。
「乙女ったら。これくらいで腰を抜かすなんてあなたらしくないわよ」
綾瀬すずが起こすのを助けてあげた。
「で、でも、今歌ったカラオケでは鎌倉辺りまでだから、東海道線の神奈川県のところまでなんだ」
「鎌倉は東海道線の駅じゃないでしょ」
「え、どういうこと?」
「さっき歌った6番の歌詞では『横須賀ゆきは乗替と 呼ばれておるる大船の』とあって、そこから横須賀線に寄って、鎌倉から横須賀まで行って、11番で『支線をあとに立ちかえり』とあるようにまた東海道線に戻ってくるの」
「へ~ややこしいね。それより、神奈川県だったら、茅ヶ崎駅はない?」
「うーん、残念だけどないわね、この歌には」
「駅が新しいんじゃない?」
綾瀬すずが聞き、茅ヶ崎葵が答えた。
「そうかもしれないわね」
その後も3人は歌い続け、やがてお開きとなった。
こちらが所有のレコードの歌詞カードの一部をお見せします。
見ての通り、東海道線の途中で横須賀線に寄ってます。
それと、茅ヶ崎駅は1898年(明治31年)に開業、「鉄道唱歌」は1900(明治33)年に発表されてます。
さすがにわずか2年後では、作詞者も追いつけなかったようで?
というか、今回、茅ヶ崎葵の頭の中に知識があり過ぎて、設定が飛び過ぎたかな。