この写真を見てみなさんは、何だと思いますか?
不思議・どうして・何だこれ・煙突って?と色々な言葉が聞こえてきそう。
この辺りから見た所に煙突が建っていました。
今の東京では煙突自体がなくなりつつありますしね。
戦後から昭和40年代までは隅田川沿いに工場が多く集まり、工場と言えば円筒。
また、各町には銭湯があり、薪木を燃やすことから煙突は必需品。
その煙突には、〇〇湯と書かれていたのです。
そして、この写真の円筒は、当時、通称お化け煙突と呼ばれ庶民に親しまれていた代物。
なぜお化け煙突かというと、見る角度によって煙突の本数が4本から1本に見えたり、3本になったり2本になったりと、その姿を変えることにあったから、その名がついたのです。
この煙突は、千住火力発電所の4本の円筒で、大正15年(1926年 )に1月の建設されたもので、高さ83,82m、レンガで出来ていたもの。
千住桜木町に位置する。
この辺が上野からJR常磐線。京成線。浅草から東武線などで北千住に向かって走る電車が川を渡るときにカーブを入ると車窓から見える円筒が、次へ次へと姿を変えるのを楽しむことが出来るという分けまのです。
この煙突の設計者はそのように見える角度に煙突をずらして立てたのであろうか。
そうだとすれば、ロマンに優れた設計者ということになりますね。
今は帝京大学のキャンパスになってして、当時の様子がモニュメントとして大学入り口前に描かれています。
グランドの位置に煙突があったのでしょうか
これより2キロぐらい行くと、北千住駅。宿場通り他、江戸時代の千住宿の名残をの巣通りが5本も残っている。
そして、今では帝京大学ほか東京電機大学ほか5つの大学がキャンパスを構える学園都市の変貌。
住みたい町ランキングでも人気沸騰しているのだ。
昔の雰囲気も残っているものの、そういう意味では大きく変わった町なのかもしれないですね。
★古い写真はお借りしました。