2000日ぶりの下町連合渡御・赤坂日枝神社山王祭の三日目

6月9日も忙しい日である。

 

和倉橋から銀座4丁目を通過し、日本橋で折り返す長いコースを、16町会の神輿が行きかう。

 

そして、最後は高島屋の玄関内に神輿が入って行くのが見せ場。

 

 

 

日本橋は江戸時代の始まりなのです

 

 

神田の祭りの時は神輿は三越に入る。

 

2000江戸時代は大手の呉服屋でその時代から現代にいたるまでこの地域の経済を潤わせてくれたお礼という分けなのですね。

 

他の街だと神輿のみの連合となるところが多いのだが、こちらは神主さんや巫女の列が先頭に立つ路頃の格式あるお祭りということになる。

 

 

 

 

 

 

 

日曜日とあって観光客が多いのだが、外国人の姿の半端じゃない。そして外国の人も一緒になって手拍子に掛け声を出してくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

外国の人も参加 思いっきり楽しんでいた

 

 

 

 

 

 

 

予定時間は2時まで。終わると同時に鳥越を目指す。三か所の掛け持ちは忙しいこと。

 

 

 

高島屋の半纏をした社員の方たちが神輿を待つ

 

高島屋前の一休み

 

 

 

余計な話

日本橋三越の反対側のバス停でバス待ちをしている70代後半の女性がいたので。「お祭りでバス来ませんよ」と私。

 

高島屋まで遠いなぁと言うから、私も行くので一緒に行きましょうと。

 

以前この連合渡御に居た時もことを色々話しだす。

 

昨日は赤坂の日枝神社の宮入。一昨日は皇居から銀座も街を総勢500名からの平安絵巻そのもの大行列があったのですよと私が写真を見せると、「これは知らなかった。行きたかったなぁ」と悔しがっていた。

 

聞きもしないのに私は浅草に住んでいて三社祭で育って、神田祭も顔を出して」と自慢話。

 

「浅草はどちらですか」と聞くと千束だという。それは機縁「私は千束中町会で神輿を担いでいたんですよ」と話が盛り上がる。

 

高島山で来ると私はここで神輿が来るのを待つと言うので、そこで分かれることに。とはいえ奇遇な出会いであった。