主権者のことば | えれブロ!

主権者のことば

ハレルヤ。
主をほめたたえます。

先週は本当にめまぐるしい1週間でした。
その中で、主から教えられたことを短く分かち合いたいと思います。

先週、10月3日に私の祖父が天に凱旋しました。
元々無神論者であった祖父ですが、晩年、洗礼までとはいきませんでしたが、主を受け入れたことを信じています。闘病生活3年は、神様からの奇跡の連続でした。主が生きているということを短かで見ることができました。

昨年の11月からえれちゃでは「ファミリー礼拝」を11時から始めました。
どの年齢層でも教会に来ることができるようにということで始まったのです。
その第一回目から、私の祖父は足を運んでくれていました。
祖父が教会に来ていること自体が奇跡でした。
そして人生の幕を閉じるまでの約1年は、入院を除いてほとんど教会に来てくれました。

私の親族でクリスチャンはいません。
私の両親はキリスト教式で最後はしたいと言っていました。
私の親族は違う宗教を信じている人もいますので非常にデリケートな問題でもありました。

普通は仏式ですることが当然です。
祖父が洗礼を受けていたら、また話は違っていたでしょう。
しかし私たちの家族は祖父が主を受け入れたことを信じていましたので、キリスト教式でしたいと思っていました。
もし、そうなれば私が司式することは当然です。

私には不安がありました。
親族に対して配慮しなければならないことや、今まで葬儀を執り行ったことなど、私の内側は不安が支配していたのです。
しかし、すべてを解決する一言が、私と私の親族に語られたのでした。
それは主権者の言葉だったのです。

私の祖母は喪主であり、どのように式を執り行うのかを決める権限がありました。
祖母は言ったのです。
「この葬儀は、拓也にしてもらう。キリスト教式で。」

この言葉には私は震え立ったのです。
すべての不安から解放されたのです。主権者のことばをどれほど力を与えてくれるでしょうか。
主権者のことばは人を立たせるという真理を体験しました。
そして、この葬儀は私がしなくてはならないという使命感さえも感じたのです。
これは主が願っておられることだと思いました。
主の福音が語られるときがきたことを知ったのです。

葬儀には150名の方が来られました。
私たちの家族と教会員以外はほとんどノンクリスチャンです。
特にメッセージを語っているときは不思議な力さえ感じました。
この地上において、私の祖父は一粒の麦に感じました。

人生においての主権者であられる主のことばは何よりも勝って偉大です。
この方のことばに耳を傾けるならば、私たちは大胆に立ち上がり、勇敢に戦うことができるのではないでしょうか。

主のことばに耳を傾けましょう。
主権者のことばは偉大なのですから。

主にあって
たく