山岡 荘八氏の小説「徳川家康」(講談社文庫本では第11巻 P.133)に、徳川 家康が、息子 長松丸(後の徳川 秀忠)に論じている場面があります。
「大将というものは敬(うやま)われているようでその実、家来に絶えず落ち度を探されているものだ。
恐れられているようで侮(あなど)られ、親しまれているようで疎(うと)んじられ、好かれているようで憎(にく)まれているものだ。
だから、家来というものは禄でつないではならず、機嫌をとってはならず、遠ざけてはならず、近づけてはならず、怒らせてはならず、油断させてはならないものだ。
家来とは惚れさせねばならぬものよ。
別の言葉で心服とも言うが、心服は事理を超えたところから産まれて来る。
感心させて、感心させて、好きでたまらなくさせるのだ。
そのためには、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、みな家臣とは違うていなければならぬ。
家臣どもが白米を食べたら、こなたは七分づきか麦を食べよ。
家来どもが五時に起きたら、こなたは四時に起きよ・・・」
とても深い。
俺には当てはまる人が二人居る!!
家来ではないが。
俺は尊敬の念を抱く。
きっとこれが男惚れだろう。
付け加えると
人間なのだから仇はあってもしょうがない。
仇を見つけられても気にならないほど惚れさせればいい。
ッて思う、、、。
ま~俺は偽善者なんで基本みんなに優しいですがw
嫌いな人には何もしません。
リーダー格ではないな!!
でも俺を好いている人はちゃんと守りたい!!
なんか良くわからんくなってきた。
解る人だけ何となくニュアンスで理解して!