このブログでも熱心にオススメし続けていた

俺の愛読書、

米澤穂信 著


「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」
「遠回りする雛」「二人の距離の概算」


いわば「古典部シリーズ」


これがアニメ化され、
4月から放送されているのは
もはや周知の事実であるが


このアニメ、「氷菓」が
丁度昨日 「クドリャフカの順番」編
をオープニングmエンディングテーマをガッツリカットして
パンッパンのボリュームで終わりを迎えた。


その悲しみが今もある。




好きな作品の映像メディア化というのは
熱心なファンにしてみると
多くの人に親しまれる好機でもあり
そのアングラ感、その界隈だけのものであった固有感を失い
若干浮ついたものに感じてしまう悲しみ

それが同時に押し寄せる者でもある。


いうなれば誰しもが持っていると思う
「この○○は原作(売れる前から)知っているが、今はあまり」
のような考えである。



しかし驚いたよ
このアニメは、勿論若干のマイナーチェンジはあるものの
どちらかというと

「あのシーンを再現してくれた」

という喜びの方が強い。

つまり、俺には珍しく原作ファンの割になかなか楽しめた。ということだ。




そんなアニメ、「氷菓」クドリャフカの順番編
だが

この
「クドリャフカの順番」

という作品が古典部シリーズでも好きだ。

もともと主人公、折木奉太郎が
ひっそりと生きていきたい反面

問題提起者で好奇心の猛獣、千反田える 
によって、学校で起こるありふれた謎
を解くにいたり

福部里志が情報を集め

井原摩耶花がその進行に口をだし
視点を広げる


というようなホームズじたてた
個性的ながらも度を過ぎないキャラクター達

前二編はもちろんこの縮図に忠実な描かれ方なのだが
(その縮図がキレイに構築されている愚者のエンドロールが、
個人的にはとても好きなのだが。)


「クドリャフカの順番」の良さは


学園祭を舞台に
それになぞらえて起こる事件と
メンバーそれぞれがそれぞれでいろいろなイベントを体験し
古典部に持ち帰ったり、あえて話さなかったりと
まさに学園祭のあり方を感じさせる。


スペード、クラブ、ダイヤ、ハート
の記とともに
主人公がかわる設定になっている

それぞれのキャラクターがにじみ出る内容

そこに強く面白みを感じる



学園祭における諸々のイベントに
大きい意味での主役というのは存在しなく
下手に脚色しすぎないところも
好きだったりします。



そんな学園祭編の終わりを見て
人知れず悲しくなった自分がいたよ。


まさに夏の残骸を拾い上げるような気持ち。



夏の残骸については


またの機会に書かせてもらうとするよ。