カラスが汚い声で鳴く。
クソ。


俺がクソ野郎だって自覚するのに

半生を辿ってみれば数十分とかからないだろう。



今日も、
ドラムの川村亮太がバイトをする店に
くいものを恵んでもらいに
所持金8円のショウヘイとともに行くという


これでもかとクソな経験をした。



現代のパンクス藁をもつかむ

日本に本当の意味でパンクが存在したのは
きっと学生運動までだって思うんだ

そんな中でもパンクスたろうとした者たちは
様々なパンクを体現してきたわけなんだけど


ではこの現代に



そう
退屈なチャート
予定調和のバラエティ番組
うだつのあがらない政治


どこもかしこもはっきりと反発する余地を無くした
支配力に欠ける現代。

学校も今じゃあ、おっかないのは
先生じゃなくてPTAだし

しっかり反発する余地なんてないくらい


ではだ

現代のパンクスってなんだ?



オレは思った。

「ゆとり」と小ばかにされ
「最近の若いもんは」と言われ

それを心から嫌いながらも
当の「最近の若いもん」の筆頭達と徒党を組むのも嫌で


もちろんこの退屈なチャート、
きらびやかなステージ
黄色い声援

全てを嫌った



「本物のうだつあがらないクソ野郎」



それが最も現代らしく、
もっともゆとり世代にふさわしい現代におけるパンクスだ



自分のクソさに気づいて
チャラついたメインストリームに馴染めず
社会のしがらみに淘汰され
サブカルや人と違う物に触れ、愉悦にうつつをぬかし
格付けされれば嫌がり、しかし人を格付けしたがり

何か発散する場所を求め、
そのクソ野郎のアイデンティティを
ステージでいかに吐露するか


これは「なんだかんだ優しくて、僕らに勇気をくれる」
ブルーハーツやゴーイングステディなどの
パンクスとは全く時代性を変えている






現代の若者たち
そのような音楽に影響も受けながらも

「戦争、社会、青春」なんていうものにまっすぐな目線で
立ち向かったりしない


彼らが抱くものは
「なんかよくしらねぇが、やりづれぇ。」

てなくらいのもんで


すごくシンプルで繊細だ。


自分が一番大事でけどそれを見抜かれないようにかっこをつけて
中二なことを言い放ち、
はたまた言う場がなくなってWEB上に居場所を求めて
大人ぶったアバターでわかったようなことを言う

そんなやつらが


そんなやつらが

ストレートに
「なんかよく知らねえが、リアルはやりづれぇ」
なんてのは通じないからさ


現代のパンクスは
歌詞で、MCで、そのステージングで


「現代っ子の社会反抗期」
をしっかりと体現するのである




さぁ現代っ子諸君


クソだなんてわかってる
だからってどうなる?
クソだっていい
踊れるんだ。


バカみたいに叫んで、踊り狂う
ステージ上のあいつは

もしかしたらお前らに重なる部分があるかもしれないぜ?




最近であったバンドにそれを気づかされたんだ。


そして自分たちもまた
そのパンクスの一人だって



気づいたんだ。