願い | 星は海、そして虹

星は海、そして虹

Therapy, Healing, Horoscope reading Delphis

振り返ると去年は、「直感を信頼できるかどうか」を、とことん試し試され続けた年でした

直感は、20代でユング心理学に出会ってから、ずっと学んできたテーマだけれど

ここまで自分事として向き合ったことはなかったと思います

 

知識や言葉よりも早く届いてしまう直感は

科学的思考に洗脳された意識状態では無視されがちです

根拠を示せない、科学的でない、といった点が「普通じゃない」と思うことへの怖れにつながり

まずそもそも認識されにくいですし、表現もしづらいのです

 

それもあって、言葉としてまとめられないまま過ぎていて、去年の前半は全くブログが書けず汗

ようやく、残しておきたい、途中でも、まとまらなくても言葉にしておかないと、

と思ってやっと書けたのが7月でした

 

そして今日

またいろいろ浮かんできたものがあるけれど、書こうか書くまいか

ためらう時間がいつもより長かったのは

書くと決めるにはかなり勇気がいる内容だからだと思います

(毎回そうであるように、崖っぷちにいることに気付かない愚者のカード状態です)

 

内容は、この本に関することです王冠2

 

 

オンム・セティという実在した女性の人生について記された本です

個人的な感想や、気になったことなど、いくつかあるのですが

まとめるのは難しかったので断片的に、つながりも考えず、記してみることにしました

 

ぽっぽっと浮かんできた1つ1つは、色とりどりのきれいな石のようで

それらを少しずつ離して、白く乾いた砂の上に置いていくイメージです

 

  宝石緑創作と決めつけられてしまってもおかしくない内容であるのに

   それが事実だという前提、

   意識、無意識がいろいろな反応を起こす中で、一気に読み進められたり

   何度も読み返さなければならない箇所があったり不思議、

   著者がドキュメンタリー作家ということで納得

 

     宝石ブルーメインの内容と同じくらい、あるいはもしかしたらそれ以上に

      不思議な感覚にさせられたのは、第7章のエピローグ

      精神分析学や分析心理学という概念に触れられているだけでも驚いたけれど

      ジェイムズ・ヒルマン、D.W.ウィニコットといった

      アカデミズムの中で学んだ名前が出てきてびっくり

      しかもインタビューされていました

      日本の大学においては、この方達の研究や実績はあくまで精神科治療の現場で

      活かされる理論と技法として学びます

      その分野の重鎮たちがこの本に出ている、それだけでも物凄く貴重だと思いました

      個人的に、離れてしまっていたものが、この本で出会っていたのです

 

   宝石紫著者のジョナサン・コットは精神疾患の治療で電気痙攣治療を何回も受けて

    15年間分の記憶を失ったとのこと

    すごいプロセスだと思いました

   (別で本になっていて、翻訳者も対談相手もすごい人達ばかりでびっくり)

   (ECTは安全性が高められ、現在でも精神科治療で普通に使われています))

      

 

     宝石白オンム・セティの身に起きたこと、オンム・セティについてどうとらえるか

      真実なのか、あるいは彼女は精神疾患を患っていたのか

      このテーマは

      今でもある意味で関わる人にとっては真剣に向き合わざるをえないものです

      超心理、スピリチュアル、ヒーリングといった領域に対する様々な見方のことです

      彼女は神話を演じていたのではなく、生きるために物語を必要とした、

      という心理学者の意見に感動しました

 

   宝石赤魔術は存在した、でもその力を誤用してしまうと黒魔術は邪悪、

    邪悪な力の使い手とならないよう、魔術には叡智がともなわなければならないと

    オンム・セティは王様(セティ1世)から教えられたとのこと

    オンム・セティはそれを守ったのだと書かれています

    そこに示されているのは時空を超えた愛と光だと思いました

 

・・・こういったことを感じながら、この本を読み終えたとき、

 心から投げかけたい問いと、願いが浮かんできたのです

 

流れ星本の中にアストラル体、評議会、エプソム塩という言葉が出てきました

 今の時代でもスピリチュアリティを前提としたセラピーやヒーリングの分野では

 それらの存在は大切に扱われているという事実があります

 肉眼では確認できないけれども、微細な身体や、意識体、エネルギー体が

 あるという前提で行うヒーリングの概念や技法が存在し、現代まで消滅せず

 日本にまで伝わってきています

 それを用いる際には、闇ではなく光とともに、

 恐れやエゴのためにではなく愛のために、といった視点が重視されます

 そういった内容は、古代エジプト、古代エジプト学ではどう理解され扱われているのですか、

 個人的にはどう思いますかと質問することは、

 失礼あるいは不愉快に感じられてしまうのでしょうか、また、意味がないでしょうか

 

流れ星シンクロニシティという概念を、信頼してもらえるでしょうか

 例えば、出会いがなければ、これらの本の紹介がなければ、それぞれの経験がなければ

 ああいったやりとりがなければ、、起こり得なかったことがあります

 

 例えば、昨夜遅くにふと思いが浮かび、確認するために本を手に取って頁をめくったら、

 今日がオンム・セティの命日だと記載された箇所があった

 (去年読んだけれど忘れていた)、

 それでこれを書こうと決めたのですが

 これを聞いて、今どう感じられたでしょうか

 

 人それぞれ、心身の反応が違うことは当然だと思います

 不思議なことに対して、受け入れられないと意識が判断すれば、人によっては、

 気味悪がったり、無意味だと無視したり、否定したくなったりするでしょう

 (私自身もはじめはそうでした)

 また、こういうことを書いている私を、例えば嘘つきで計算高く、何かを企んでいる邪悪な、

 又は自己顕示欲の強い、あるいは気がふれた人間と忌み嫌うかもしれません

 でもそれは、私にとっての真実とは違います

 多くの人は、自分の内側に存在しないものは外界に見えないことがあるので、

 残念なすれ違いが起きても、仕方のないことだと思います

 (今は殴られたり排斥されたりしないだけマシです)

 

 この本に関する言葉以外にも、捨てられずにいるキラキラ✨があり

 今までにそれらを少しずつ、勇気が要りましたが、見てもらいました

 叶うのであれば、恐れられたり、逆に持ち上げられたりせずに

 (様々な背景による装飾をされずに)

 淡々と、その石たちをただ手に取って観察してみてほしいのです宝石赤宝石緑宝石白宝石ブルー

 そしてジャッジメントせず、勝負でもなく、新しくやってくる閃きを一緒に待ったり、

 探したりしてもらえたら

 きっと私は救われるのです

 

流れ星この本に関わった、現代の方々に聞いてみたい一番の質問は、この本にご縁があることを

 今どう思っているのかということです

 関わったことを取り消したくなっていたり、後悔したりしているのか、それとも

 意味ある偶然、あるいは必然として理解できるのか、それともそのどちらでもないのか、

 といったことです

 

 私が発する言葉や運んでいる情報は、役立ててもらうために在るのだと思います

 でもそうすることで何が起きるのかは、未知の世界です

 どうしても手離せなくて握っていた石たちを渡すことの意味やその先にある目的を

 私自身もまだ知らないのです

 だからそれを見つけさせてほしい

 受け取る側の人にとって、それが加わることは、それまでを否定するのではなく広がっていくのだと思います

 これまでがそうだったように、新しい目的のために、きっと選ばれているからですキラキラ