僕の年代では
ドーハの悲劇もほぼリアルなんですけど
それよりも一番正々堂々いうか
夢の舞台の大会でやってはアカンやろ
そういうスポーツの矛盾や清濁を
一番受け止めては良いのか悪いのか
子供から大人になる
(思春期でも、未成年から成年へと法律上でもいい)
多感なタイミングで見せられた一面でした
これをわざわざ持ち出すことは
少ないのか賛否の正当性の中で
見かけた記憶がないのですが
これもですね賛否事態はありましたけど
時間の解決により
どんな評価を下しても
事実認定レベルではほぼ、まとまってきてます
風化してるともいえます
言いたいこと
監督が試合前からプランしプラン通り実行して成功なった
つまり、最初から作戦勝ちです
そういう意味では日本代表も選手を6人変えて
休ませる作戦までは勝ち抜ける気満々でプラン通りかとw
でも実行面の試合内容がついてこなくて
臨機応変といえば聞こえは良くなるけど
やっぱり他力本願に頼って
「本意ではない」プランを立て実行したということ
あとその後の選手たちはどうなったか
甲子園は野球を目指さない人も
いい思い出にできるようなスポーツ大会でした
高校時代の思い出でも
卒業後のプロ野球や社会人野球への登竜門でも
一定の指標になる存在意義をもってるといえる
ただね選手続行ではなく思い出としてまとめるには
チーム内だけでどうしようもないレベルになってしまった節
社会問題レベルに思い起こされる形は
高校生の年齢では「酷」だと感じます
誰が「俺たちはあの松井の星稜に勝ったんだぜ」って
当時も現在も時代の変化に関わらず
言えるようなことが「胸を張れる」ことですよね
現場であれ、外野であれ、
共感を持ってもらえなくても、
虚勢ではなく、爽やかに言い切れないとね
つまんないですよ
「話盛る」「ドヤ顔」「武勇伝」にしても
それこそ見方だろう側のひとに退かれたら
おしまい
もしメディアが騒がなくても
メディアによって苦悩させられたかもしれない
当時の選手たち
結果がついてきたからと
いい思い出にして語られたかは
時間の経過でまとまってきてますけど「やっぱ謎」ですよね
そうなってるのもメディアにもファンにも
悪印象を与えない与えなかった
松井元選手によるところが大きかったと思います
が
個人に多くの負荷と貢献で面子を必要以上に
傷を浅くされ、守られた社会組織ってなんなんですかね