東日本大震災から一年が経ちました。

あらゆるところより発信や受け取れる情報から
一年前の出来事が大惨事だという共通認識をもとに
多くの関心・影響のある人々は
この一年生計を立てなおし生きてきただろうと思います。

これから支離滅裂だか乱脈になるだろう文章も
僕が言ったとしてもね、僕を嫌いな方々でも! 
言葉だけは簡単に受け入れやすいと思います。

いろいろな思いがそれぞれにあると思います。
それぞれの選択を尊重すべきだと思います。
たとえそれが自分には受け入れがたい言葉や行為、
現実だとしても…。


あえて、いつものようにきついこと言います。
ご冥福とか追悼をこの場でいうことより、
天寿を全うした時にどのくらいの人生の経験として
次代へひとりひとりが何を残せるかだけ表(ブログ)に表現したいと思います。

僕の認識でも、みなさんの認識でも、
日本人は自分を犠牲にしてでも
課された大義はやろうとする民族

固い言い方なればこんな感じ?
日本人は赤の他人に対しても
寛容な心遣いで手を差し伸べる思いやりのある民族

まだまだ固いかもだけど
このあたりで僕の常日頃のコメからは勘弁してもらって
同調できる理解できると思う

でもって、その認識が正しかったですか?

僕は違和感をものすごく感じた一年になりました。
正直、美徳でも哲学でも伝承でも文化でも何でもいいです。
古き良きものはしっかり認めながら、
他国の完全植民地になることもなく、
四季を感じることで心も体も健やかに、
どんなに苦しくても耐え忍びながらも守るものは守る、
そういうことを表に出しながらやるひと、表にはでないけどやることはやってるひと

僕と価値観の違う多くのひとは後者の方に自分はいるだろうと自己評価し
無難である後者の森の中にいると思います。
僕だって後者でいたいと常に感じますが
どうしても多数派側より少数派側に結果的にいてしまうことが多いので
発信として前者になっていきます。
(個人的には無理やり表舞台に出されてる感があり続けてますが)

どちらでも同じ結果を求めても
アクション(プロセス)にもうるさい民族だと思います。

プロ野球で言えば、投手と打者の真剣勝負の場面でたとえると
「ストレートできればど真ん中」勝負を周りが期待し理想にしてると思います。
プロ野球はスポーツですから勝ち負け結果も大事ですが
球場のその時々の雰囲気に沿わない勝負をすれば
メディアやファンは勝負の仕方の論客となり、
勝負事なのに本質はおざなりになり盛り上がってしまいます。
なんで東日本大震災の話にプロ野球でたとえ話なのか?
仙台に楽天があるからなのか?
いいや違います。
僕が言いたいのは
民族性が同じ方向で
この出来事に立ち向かい進んだのか
ってことです。

一年経った今も、報道等は続いてますからなんらかの情報は入ってきています。
力み加減はうまく調整できるような柔軟性や
ストレスを感じるならばストレスの自己軽減手段などを身に付けて
思うようにうごけないひとたちは日常生活を維持してることでしょう。

タイトルにいったん戻ります(戻らなくても理解されれば助かるのですが…)

単純に「絆」って出来事(テーマ)に沿って継続性や縁が大きく比例して
ひとりひとりのキャパシティになっているんじゃないかと感じています。

直接影響下にある人と間接影響下にある人では
当然、目の前の現実に対するものの見方が違うはずです。

直接影響下のある人が感情的になったりしても
まだまだ期間的に許容しながら関わると思います。

間接的影響下がある人はどうなのでしょうか?
正直、先に書いた表に出さないでやるひとが
東京という大都心で滞在する僕にはあまり感じられず、
客観的に受け止めながら思いをはせる様子もなく 、
何もなかったように日常に戻ってしまった感があります。

人知れず義捐金を出しているかもしれません。
みなさんが知ってるはずの日本人です。
でも義捐金をやったから免罪符になってませんか?
いくら自分にとって工学にあたる義捐金だしました。それっきりより、
毎月継続して無理せずだせる範囲の義捐金を続けるほうが
絆感じないですか?

分割とでもいうか合計額で言ったら
コスパで義捐金としては届かない手数料になるより
義捐金総額を気にしてるかもしれません。
それはそれで考え方は構わないと思います。
ただ、自分でその後を追いかけることができるような習慣やスキル?ありますか?
残念ながらこの部分が欠けてるように満員電車に乗った時とか感じてしまう。
中刷り広告と勝手に聞こえてしまう日常の雑談の声とかで…

当日、それから数日恥ずかしくも情けない行為を東京では見続けました。

買い込みによる品不足など、
まだまだたくさんあるのに押し付け状態で数量制限されたり、
自転車が
ミネラルウォーターなどでお茶は飲んでいたので、
水道水でお湯を沸かしてお茶を飲んだのとか10数年ぶりでした。
日本じゃ軟水が普通なので硬水を飲む僕としては間接的影響下の立場ですが、
水が手に入らないまではいかなくも食生活に多大な影響は受けました。
そうでなくても海外では普通に水道水が飲める国は実は1割もありません。
世界は200か国以上ありますから、先進国でも怪しいってことですよね。
水は確保しておくものです。 
世界じゃ水の奪い合いで平然と殺し合いが生まれ悲劇が繰り返されてます。
知らないひとは違和感を覚えるでしょうが
買い込む人の気持ちも僕は少し理解できます。

現場にいるひと、現場に関わり続けるひと、
日本人の絆ってかなり残ってると思います。


ただ、もうね。
関わり続ける人も絆だけで動いてないんですよ、
かなり。

(あ、絶対、敵増えた、解ってるけど真実によって傷つくこと隠さないこと
 いい加減身に付けないと、精神的疾患が現代病で減ることないですよ)
ただ、自分から生み出す手段がない一般の方から見れば、
日常に戻ってしまった東京ライフのみなさんと同じ
見ないふりが必要なのかもしれません。
大義のために、利用されてること知りながらも結果については同じだからとか!
みえない心のストレスと闘いながら
被災地に以前よりよりよい影響を与えたいのだろうと思います。
利用されてるのも気づきながらも
現場で活躍してる方には賛辞を送ります。
当たり前です、
今できる自分の全力やってるんですから!!!


別に震災でだけ起こることではありません。
強者が弱者をうまくそう仕向けるのは
あらゆる世界でずっと行われていることです。

有名人の方が発起人となった支援には、陰口を言う方は多いかもしれません。
僕をご存じの方は、僕はこっちだと思われると思いますが違います。
僕は人道的なものに対してはこっちはむしろ例外というか気にしまえん。
大事なのは影響力があるなら最大限使えと思うからです。
その人の名前の元にたくさんのスタッフや業界が
後方支援をやるのは明らかですから、
言い方悪いけど神輿ですから、
結果が出ればみんな幸せな感性に包まれるでしょう!
これは「絆」を生むですね。

会社の経営者など、自分の組織を持っていながら、新たな団体を形成し、
そこに若者や閉塞感のある人、その支援と称して雇用と現場活動を仕切る方々、
僕はここに苦言を呈します。
最終的には被災地・被災者にいい支援は先の前者と同じようにできるかもしれません。
ただね、あなた自身は参加してるかもしれないけど、
あなたの組織はなんで参加させてないの?
責任が取れないから?業務に入ってないから?
ちゃいますよね?
いろんな言い訳つけたってその組織の方は
日本人であろうとそうでなかろうが日本の中で住んでますよね
現実に自分ができることやりたいこと、みんなあると思います。
それは加味しましたか?自分の組織の人間どんだけ信じてますか?

はっきり言って歴史を読むのが好きな自分としては…
「勝てば官軍、負ければ何も残らない」
だから
「正規兵は使わない、義勇軍を募る」
って感覚にすごく感じるんです。

正しいことは言ってるけど
その正しいことをいうあなた、
あなたの家族、あなたにちかいひと
どこにいますか?
今なにしてますか?


そういう観点では、絆は失われたと思います。
回数の問題でも常駐しろともいいません。答えられますか?ってこと

アリバイなんかなくていいです。あった方が気持ち悪い。
職業柄僕のスケを知ってる方でもアリバイ見つけるのきついです。
たまたま防犯カメラにでも映らないと証拠なんかありません。
人の目をちゃんと見て即答できるかどうかでしょう。苦笑

きりがないので本来なら3月11日にアップする内容でした。
この一週間でメディアで動いたこと動こうとしてることを少し書いて一度切ります。
誰も見ないというか、勇気を出して応えがないようなら、
また適当なときに好き勝手に書くこともあるでしょうが、
なければたぶん書きませんww

被災地のゴミ処理問題で全国各地に受け入れの問題が
メディアで取り上げられてました。
それこそ「絆」の考え方をしっかり持つべき内容でないでしょうか?
一般のごみなら拒否るのはおかしいと思います。
でも違いますよね?
でもってなぜ共有しあうかあいまいな政治判断ですよね。
綺麗ごとはいいんですよ。

赤信号みんなでわたれば怖くない

なぜさせようとするのですかね?

僕は東京に滞在していて、
東京はとっくに受け入れ表明してますが詳細は知りません。
別に石原さんは好きな方ですが彼じゃなくても納得しますし
彼の個性でもしこういうこと言われたら誰も何も言えないと思う。
「東京は東京電力の管轄内なので電力多くは東電下のエネルギーで活動してる。
 被災地に東京電力の施設はあって、それを東電管轄の消費者が得ている。
 被災者は直接の消費という恩恵を東京電力からはなんら受けていない。
 もし今から原発をあらたに作るとして
 管轄区内に都内に必要だからと受け入れますか?
 受け入れられないでしょう?
 だったら、せめてリスクがあってもそれ以前に引き受けるだけは
 同じ日本人で迷惑かけた側は我々なのだからやろうなじゃないの」
言えても言わないでやるでしょうね、ってかやっちゃってるしw

核は兵器にしろ、エネルギーや技術にせよ、
すごく限られた世界と人間で使用を許されてきてるわけですよ。
既得権もあるでしょうが、
何より事故を恐れた場合の最小限のリスクの面もあります。

だから、赤信号みんなで渡れば怖くない論的な国民性に訴えるのは、
「絆」を通り過ぎてリスク管理も責任論もなにもしていない戯言だと思う。
まして国民性ならば、地域での姉妹都市とかで提携もあるだろうから、
ここから声が上がってきたりを待ってもいいのではないかと思う。
現実は一年経過してるので
上辺だけの姉妹都市メリットしかいらないと穿って見られても仕方ないよね。

書いててさ、何が伝えたい、伝えたかった…

自分が感じたとき思ったとき行動した時
あなたが出せるその時の精いっぱいで関わりましたか

今、心や距離が被災地や復興から離れていても構いません。
そういう今回は充実感ではなく
達成感と同時に起こる無力加減を得て
今後の自分の人生に還元出来てれば、
少なくとも僕はその人には日本人の絆は残ってると感謝と感動を感じます。

あなたの中に「絆」ありましたか?

追伸

僕は、ピグともさんとの会話の中から、
古着などの直後の物資支援に少しだけ協力させていただきました。
たまたま、近郊ということでその時わずかばかりの個人情報交換しました。
近年の個人情報の取り扱いでうるさい社会で、
僕などと先を考えずリアルな連絡手段を確立し迅速に処理対応しようとした
その方に感動を覚えます。

それ以外の復興や震災に関しては、
仕事(組織)を通じて可能なことを現在もやってると思います。
思いますというのは
組織の幹部のひとりとして指示はしてること、無視はできません。
主な支持の結果待ちが多いということ。
調査分析部門が多いため直接は何も進んでない感じです。
データ化というのは形になるまで何にもなりません。
関わりのない他人に話したとしたら結果の話なら
意味がない、無駄だった、よくある世界でもある。
そして最大が日本とは直接取引が希少なのでまず還元されない可能性が高い。
すべてが完了しても、知らない人には何もやってないといわれてもしかたない。
それでいいと思ってます。

まだ、やれない大義のうちは声を大にして
大ぼら吹きになってもいいので、いうべきことはいうべきかと思います。
でもって、大義をやりきったあとは、
その前もその後も名も知れずならそれでいいじゃないですか。

半世紀前の大戦の中、国のため家族のためたくさんのを思いのなか
命を散らせた人の名をどれだけ知ってますか?

やりきったあとに名も知れない僕始めみなさんが、
あーしたこーしたいうより、
いま、こんなことしかやってなくて恥ずかしいけど
もっとやれることって、あるかな?なかったかな?
とみなさんと語り合ってる方が素晴らしいと思うし、
僕のみている「絆」だと思います。

「絆」みなさんはどんなものに感じてますか?
そしてその「絆」ちゃんと感じれますか?