一時期、
「ありのままの自分でいい」
「自分らしく生きよう」
「あなたらしい人生を」
という言葉を、本当によく耳にしました。
もちろん、
どれも悪い言葉ではありません。
誰かと比べて無理をしたり、
自分を否定してしまったりする人にとっては
救いになる言葉でもあったと思います。
でも最近、以前ほど
「自分らしく」という言葉を
聞かなくなったような気がします。
言葉そのものが消えたわけではないけれど
少しだけ
時代の空気が変わったのかもしれません。
そもそも、
「自分らしさ」とは何なのでしょう。
今の自分?
本当の自分?
誰にも見せていない自分?
好きなことをしている自分?
「自分らしく生きよう」と言われても、
自分らしさが
何なのかわからないこともあります。
すると、
「本当の自分って何だろう」
「私は自分らしく生きられているのかな」
と、今度は別の悩みが生まれてしまう。
いつの間にか、
「自分らしい自分を見つけなければならない」
という新しい宿題に
なってしまうこともあります。
「人と比べなくていい」
「好きなことをすればいい」
「自分らしく生きればいい」
一見すると、とても自由な言葉です。
でも、
自分の好きなことを知っていなければならない。
自分の価値観を持っていなければならない。
自分の人生を自分で選ばなければならない。
そう考えていくと、
「自分らしく生きること」さえ、
頑張らなければならないものになってしまいます。
「ありのままでいい」と言われているのに、
ありのままの自分を一生懸命探している。
少し不思議ですよね…。
最近は、
「無理しない」
「心地よく」
「自分に合う」
「ほどほどに」
そんな言葉のほうが、
しっくりくることがあります。
「自分らしく生きよう」には、
どこか目標があります。
でも、
「今日は無理しなくていい」
「今はこっちのほうが心地いい」
という言葉には、少し余白があります。
考えてみれば、
自分らしさなんて、
最初から一つに
決まっているものではない。
昨日は楽しかったことが、
今日は面倒かもしれない。
昔は好きだったものに、
今は興味がなくなっているかもしれない。
人と一緒にいたい日もあれば、
一人でいたい日もある。
頑張りたい時もあれば、
何もしたくない時もある。
それでいいのではないでしょうか
「これが私らしい」と
自分を一つの型にはめなくてもいい。
その時々で、
自分に合うものを選んでいく。
そして後から振り返った時に、
「ああ、これが私だったんだな」
と見えてくるものが、
自分らしさなのかもしれません。
以前は、
「自分を持とう」
「自分らしく生きよう」
という言葉に
励まされた人も多かったのかもしれません。
でも今は、
「そんなに自分を決めなくてもいい」
というくらいのほうが、
楽に生きられる人もいるのではないでしょうか。
自分探しをして、
ようやく「これが私」とたどり着くのではなく、
「今日はこれでいい」
「今はこれが心地いい」
を繰り返していく。
その小さな選択を重ねていった先に、
振り返れば、自分の人生ができている。
「自分らしく生きる」
という大きな目標を掲げなくてもいい。
今日は、
こっちのほうが自分に合う。
そのくらいの感覚で生きていく。
そんな生き方のほうが少し自然に感じます。
あなたは今日、
どんな選択がいちばん自分に合いそうですか?
新しい出会いは、人だけじゃない
新しい出会いというと、
新しい人との出会い。
新しい仕事との出会い。
新しい環境との出会い。
そんなことを
思い浮かべることが多いと思います。
でも最近、
新しい出会いって、人だけじゃないんだな
と思うことがありました。
今日はそんなお話です
新しい出会い
実は愛犬ちょろくんに
新しい出会いがありました。
それは、
新しいトリミングサロンとの出会いです。
長く通っていた場所を変えることには、
少し迷いもありました。
でも実際に新しい場所へ行ってみると、
新しい人。
新しい空気。
新しい関わり方。
新しい安心感。
ちょろくんにも、
ちゃんと「新しい出会い」が
あったんだなと思いました
気づいたこと
その出会いを見ていた私自身にも、
気づきがありました。
新しい出会いは、
何かを新しく増やすだけじゃない。
今まで気づかなかった自分の感覚を、
もう一度見つけるきっかけにもなる。
「私は、こういう場所が好きなんだ」
「こういう接し方に安心するんだ」
「こういう仕事の姿勢に信頼を感じるんだ」
そんなことは、
新しいものに触れてみないと
分からないことがあります。
長く同じ場所にいると…
長く同じ場所にいると
それが自分に合っているのか、
ただ慣れているだけなのか、
分からなくなることがあります。
でも、
新しい場所に行ってみると、
今までとの違いが見える。
違いが見えると、
今の自分が
大切にしたいことも見えてきます。
今回、ちょろくんの新しい出会いを通して、
私も改めてそう感じました。
自分に必要なものを教えてくれる
新しい出会いって、
何かを失ったあとに
仕方なくやってくるものではなくて、
これからの自分に必要なものを
教えてくれるきっかけなのかもしれません。
人との出会いも。
場所との出会いも。
仕事との出会いも。
そして、
ちょろくんのように、
新しい環境との出会いも。
その出会いによって、
「こっちの方が心地いい」
「こういう関係が好き」
「私はこれを大切にしたい」
という感覚が、
少しずつ見えてくることがあります。
まとめ
新しい出会いを、
ただの「新しいもの」と捉えるのではなく
新しい出会いは、
今の自分を知り直すきっかけでもある。
そんな視点で見てみて
あなたには最近、
どんな新しい出会いがありましたか?
私が20歳頃の話だけど
母が送ってくれた
「ブランドじゃないバッグ」を思い出した
今日はそんなお話です
娘さんへのプレゼント
今日、仕事中に、
娘さんへのプレゼントを
選ばれているお客様を接客しました。
ピアスを、
本当に悩みながら選んでいらっしゃって。
発送先を伺うと、東京でした。
「よかったら、
メッセージカード入れますか?」
とお伝えすると、
娘さんへの言葉を書いていらっしゃいました。
その姿を見て、
ふと、30年以上前のことを思い出しました。
母が送ってくれたバッグ
私も当時、
地元を離れてひとり暮らしをしていました。
あるとき母が、
「ブランドのバッグを送るね」
と言って、
地元百貨店からバッグを買って
送ってくれたことがあります。
当時の私は、
東京でヴィトンやシャネルなどを
目にすることも多く
周りの友人達も持っていて
欲しかったのもあり
母にそのことを話したからだと思います
届いたバッグを見て、
「なんなん、ブランドじゃないじゃん」
なんて思ってしまいました。
でも、
そのバッグは当時35,000円以上
30年以上前の35,000円です。
今日、娘さんのために
何度もピアスを見比べながら
悩んでいるお客様を見て、思いました。
母も、こんなふうに
悩んで選んでくれたのかもしれない。
東京で暮らす私を思いながら。。。
今になってわかったこと
若い頃の私は、
「何をもらったか」を見ていました。
でも今は、
「どんな気持ちで選んでくれたのか」
が、少しわかります。
品物は、
いつか使わなくなるかもしれない。
でも、
「母が自分のために選んで送ってくれた」
という記憶は、
ずっとあとになって、
その価値に気づくことがあります。
お母さん。
あのとき、
「ブランドじゃないじゃん」
なんて思ってしまって、ごめんなさい。
あのバッグに入っていたのは、
バッグだけじゃなかったんだね
気づくのが遅くなって、
ごめんなさい。
そして、本当にありがとう。
まとめ
あなたにも、
あの頃はわからなかったけれど、
今になってわかった誰かの気持ち
はありますか?
この前、経営者の方と話していたら
「ああ、ひとりなんだな。って
としみじみ思う瞬間があります。」
って話されていて…
もちろん、
本当にひとりなわけではありません。
一緒に動いてくれる人もいるし、
応援してくれる人もいる。
話を聞いてくれる人も、
相談に乗ってくれる人もいます。
それでも、孤独を感じるのは
最後に決めるのは
自分だからなのかな…と思うのです。
今日はそんなテーマです
どの方向へ進むのか。
何を残して、何を変えるのか。
誰に何を任せるのか。
続けるのか、やめるのか。
いろいろな人の意見を聞くことはできても、
最後の最後に、
「よし、これでいこう」
と決めるところだけは、
誰かに代わってもらえません。
「社長や経営者、代表は孤独」って
聞くけれど
それって、
「誰もいない」ということではなくて、
最後は自分で決めて、
自分で引き受けることなのかもしれないな
と思います。
No2がいて欲しいとか
右腕とかって言うけど
いたらいたで
少し期待しすぎたり
この人なら、同じ方向を見てくれる。
この人なら、一緒に考えてくれる。
この人なら、
同じくらいの熱量でいてくれる。
そんなふうに、
どこかで思ってしまう
経営者の方も多いのではないかな…。
でも、
考えてみれば当たり前なんですよね。
人には、それぞれの人生があります。
大切にしたいことも違う。
仕事に求めるものも違う。
働き方も、収入も、
これからやりたいことも違います。
私にとって大切なものが、
相手にとっても同じ重さで
大切だとは限りません。
それは、
誰が悪いという話でもありません。
ただ、違う。だけ
だから、
相手がどう動くかを、
自分の未来の前提にしないことが重要です。
これって、
経営を続けていくうえで、
とても大切なことなのかもしれないです
「頼らない」ではなく順番を変える
だからといって、
「もう誰も信じない」
とか、
「全部ひとりでやる」
ということではありません。
ひとりではできませんから(笑)。
困ったら助けてもらうし、
わからなければ聞くし、
誰かの力を借りることもあります。
一緒にできることは、一緒にやりたい。
でも、
「この人がいてくれるから、自分は進める」
ではなくて、
「自分は自分で進む。そのうえで、力を借りる」
経営者としては
こっちなんだと思います。
似ているようで、ずいぶん違います。
自分がつくっているものの未来は、
誰かのものではなく、
自分自身のものなんですよね。
一緒に考えたり、
助けてもらったり、
力を貸してもらったり。
そうやって進んでいく事が大事です
でも、
どこへ向かうのかを決めるのも、
何を大切にするのかを決めるのも、
最後に「これでいく」と決めるのも、
やっぱり自分です。
そう考えると、
少し寂しいような気になるひとも
いるかもしれないけど
でも同時に、
ああ、それが社長(代表)
経営者なんだと思います。
誰かに期待しすぎず。
だからといって、
誰かを遠ざけるわけでもなく。
必要なときには、ちゃんと助けてもらう。
自分の人生や仕事のハンドルは、
自分で持っておく。
孤独は誰かがいないことじゃない
最後に
“決める”のが自分だからなのかな。
と、思いました。
今日あなたは
どんな決断をしましたか?
先日、専門学校の
前期が終了しました
授業が終わって、
学生たちと写真を撮りながら、
「ああ、前期が終わったんだな」
と、少しだけ実感しました。
私は授業で、
できるだけ学生の話を
聴くことを大切にしています。
一方的に答えを教えるというより、
「どう思う?」
「なぜそう感じた?」
「あなたならどうする?」
と問いかけながら、
自分で考え、自分の言葉で話してもらう。
私の授業は、
ティーチングというより、
コーチングに近いスタイルです。
聞くことで見えてくるもの
学生の言葉を聞いていると、
「そんなふうに考えるんだ」
「そういう見方もあるんだ」
と、こちらが
気づかされることもたくさんあります。
もちろん、
授業なので伝えるべきことは伝えます。
でも、
こちらが話して終わりではなく、
学生がどう感じたのか。
何を考えたのか。
どんな言葉で表現するのか。
そこまで含めて、
授業の時間だと思っています。
だから、同じ内容を扱っていても、
毎回まったく同じ授業にはなりません。
その場にいる学生たちとのやりとりの中で、
授業も少しずつ形を変えていきます。
教える側も、受け取っている
前期を振り返ってみると、
私は学生たちに
何かを伝えていただけではなく、
たくさんのものを受け取っていました。
真剣に話を聞いてくれること。
自分の考えを話してくれること。
質問してくれること。
反応してくれること。
笑ってくれること。
そして時には、
「先生、これ見て」
「先生、聞いて」
と声をかけてくれること。
そういう一つひとつが、
私にとってはとても大切です。
学生が自分の「今」を
少し見せてくれているように感じるからです。
感情を扱う授業だからこそ
感情は目には見えません。
でも、
表情や言葉、声のトーン、反応には、
その人の内側が少し表れます。
だからこそ私は、
「この学生はいま、どう感じているんだろう」
「この言葉の奥には、どんな思いがあるんだろう」
と考えながら聞くことを大切にしています。
すぐに答えを渡すのではなく、
自分で気づき、
自分で言葉にする時間を持つ。
その経験が、
社会に出てからも
役に立つのではないかと思っています。
前期を終えて
前期が終わったからといって、
何か大きな答えが出たわけではありません。
でも、
「この時間を一緒につくってきたんだな」
という感覚はあります。
先生だから、教える側だから、
与えるばかりではない。
学生たちの言葉や表情、
反応から、私もたくさん受け取っている。
それを改めて感じた前期最終日でした。
まとめ
伝えることは伝える。
でも、それ以上に、
学生の言葉を聞くこと。
自分で考える時間をつくること。
その人なりの答えを大切にすること。
そこを忘れずに、
教室に立ちたいと思います。
そして今日、
「前期、おわったー!」
とみんなで写真を撮れたことも、
うれしい締めくくりになりました。




