こんにちは。

 

100年後の日本が明るく豊かであるために礼法を繋ぐ

日本礼法道協会代表理事の坂井志暢です。

 

暦の上では「立秋」になりました。

 

にも関わらず、猛暑日が続いておりますね。

 

 

毎年毎年、二十四節気は太陽の動きだから、実際の気候とズレてはいない

 

というお話をしております。

 

時々、旧暦だから今と1ヶ月ズレているという説をお聞きします。

 

確かに、五節供など陰暦だったものはズレておりますが、二十四節気は太陽暦なので今のカレンダーと同じなのです。

 

その証拠と言ってはなんですが、平安時代の歌集「古今和歌集」にこんな歌があります。

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

 
この歌には、前置きとして「秋立つ日 よめる」とあり、立秋に詠まれた歌であることが示されています。

 

歌の意味は、

 

秋が来たとは目にはハッキリと見えないけれど、ちょっとした風の(秋らしさに)ハッとした

 

ということ。

 

 

そう、平安時代から立秋は暑さの盛りであり、秋らしくなかったのです。

 

でも、ふとした風の涼しさに秋を感じてハッとする、という歌です。(なんと繊細)

 

現代においても、8月に入ると夕暮れ時などに風が秋っぽく感じて「あ、もう盛夏ではないのか・・・」と感じることありますよね。

 

ただ、今年は例外のように感じます。

 

一瞬、少し風が涼しい夜はありましたが、まだまだエアコンを切って寝るのは辛いかもしれません。

 

八ヶ岳や軽井沢では、もしかしたら秋っぽさを感じられるのでしょうか。

 

この地球の変化を少しでも食い止めようとする力が、コロナ騒動を起こしたのかもしれませんね。

 

あの時期、社会の動きが強制的に止まって、地球の疲弊も止まった気がしました。

 

家のベランダから外を眺めると、朝は遠くの山々がくっきりと見え、夜は都心のビルのてっぺんにある赤いランプが美しくハッキリとしていました。

 

 

あきらからに空気が澄んで、静かで、地球の疲弊スピードが落ちたのを感じました。

 

あの時期は、平安時代の和歌がしっくりくる「立秋」でした。

 

とはいえ、私たちは資本主義の中で経済活動を営まなければ生きていけない(と思い込んでいる)のです。

 

世界全体で、みんなが幸せに地球の疲弊スピードを落とせるように策を練ることができたら良いですよね。

 

せめて私たちにできることは、エネルギーの消費を抑えたり、ゴミにしないでリサイクルしたりすることではないでしょうか。

 

一人一人が、ちゃんと立秋の夜にはハッとできるような風が感じられるような地球を残そうと努められたら良いですね。

 

地球目線、宇宙目線で生きることがこれからの鍵だと感じます。

 

二十四節気から宇宙の法則みたいな話に飛躍しました。

 

でも、本当にそう思います。

 

 

 

それでは、今日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

猛暑のおり、どうぞ体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

 

 

坂井志暢 拝