過日、友人と会って、健康について話をしました。
そこで、自分は、自覚症状までは無いけれど、血圧が高く少し不安になっていると話すと、友人は、それならば薬を飲むのを勧める。と言うのです。
その友人は、私よりも2、3歳年上で、すでに、血圧の薬、血液をサラサラにする薬、痛風の薬、高脂血症の薬などなど、胃薬も含めて6種類ほど常用しているのだそうです。
10年後の自分が想像できないけれど、思うように好きに生きるためには、薬を飲まなければいられない。と言うのです。では食事などで節制しているかと言えば、そういう思いからも解放されたいから飲んでいると言います。つまり飲食での節制もしてはいないと・・・
実際、友人は、以前に会った時よりも太っていて、体内のコンディションは整えられているのだろうと思いますが、肥満の指摘は受けそうで、きっと、日常で薬を飲み忘れると大変なことになるように思われます。
友人は、私にも、いつ身体に異変が起こるかも分からないし、そんな爆弾を抱えて、生きるのはつらくないのか?節制で健康に戻すのは難しいのでは?と親身に声を掛けてくれます。
そこで、考え方は二つ、薬を服用することで、体内の臓器の破滅するリスクを遠ざけるか?薬に頼らずに、何とか健康レベルに戻していくか・・・。ただ、どちらにせよ生命は、SDGsでよく言われる持続可能ではないんですよね。いつかは死ぬ。
健康に戻ることについては、これまでさんざん、不摂生をして身体を壊すことには習熟しているのに、どうしたら健康に戻れるか?確たる自信が持てません。多分、運動をすれば良いのだろう。多分、お酒を控えれば良いのだろう。と想像するものの、もう手遅れかも知れない。とも思います。食事制限は嫌だけど、薬漬けはもっと嫌だ。と身動きが取れない状況にいます。
飲酒についても、世に言う適量について、そんな少量では、満足できないし、自分には当てはまらない。医師には数値でああだこうだ、言われるけど、自分は認めたくない。今は体調に深刻な変化が出ている訳でもないしと・・・。
飲んでしまうと、すぐ寝てしまって、でも夜中に目が覚めて、飲まないようにしよう。と毎夜の反省です。なので、夕飯前にお酒を、飲んでも少しにとどめたいと思うのですが、飲み始めると、その瞬間は元気が出てしまって、酔わないとつまらない。自分が生きていることのアカシだぁ~くらい気が大きくなってしまうのです。もう、完璧にアルコール中毒ですよね。
そこで、夕飯までの一日の行動をイレギュラーなものにして飲むのを抑制しようとするのですが、毎日のことでは、飲まないことにストレスを感じるようになり、そのストレスに負けて飲んでしまいます。断酒の継続は困難で、そんな思いには、本当にお酒のテレビコマーシャルは迷惑に感じます。
きっといままで、お付き合いのあった諸先輩方も、現役からリタイヤして、自分の健康状態をニュートラルに戻すことには、きっと誰もが大きなテーマとして考える暇もなく、ある人は、行きつくところまで行ってしまい、ある人は、何かの切っ掛けで踏みとどまれた。など、おそらく、人の数だけ反芻が繰り返されてきたのだと思います。それでも生命には限りがあり、そんな取り組みの後の最期は、周囲でもごく限られた人にしか知られないことだと思うのです。
今回、私は、友人から話を聞けたのは、自分の健康を更に真剣に考える機会になったように思います。
私は、あるいは手遅れとなる結果になるかも知れませんが、次の検診までこの二つのジレンマと、闘っていこうと思います。
テレビで高齢の方が、元気で動くコマーシャルを見ると、みんながみんな当たり前のように元気で長生きしているように、幻想しがちですが、私には、あれが高齢者すべての標準とはとても思えないのです。