たくさんの大会が開催された日曜日。
Mちゃんと沿線ランをやってきました。
今回は常磐線の旅。
常磐線は、昨年の夏にボッチで日暮里から新松戸まで走っています。
当時のブログ
新松戸駅からランスタート!
すこしながくなりますが、1回で完結しようと思います。
すぐ近くに流山電鉄の幸谷駅があります。
松戸さん沿線ランやりましょう!
また連絡します。
松戸市のマンホール
駅間は1.5㎞と短いのですが、アップダウンがえぐかったです(;^_^A
最初から脚の疲労が・・・。
北小金駅
常磐線各駅停車のみ停車。
かつては水戸街道の「小金宿」として栄えていたところです。
歴史もあり、多くの神社や寺院もあります。
本土寺と東漸寺は、アジサイや枝垂れ桜の見どころ。
沿線ランには少しタイミングが早すぎましたかね(;^_^A
松戸市に合併するまでは、旧東葛飾郡小金町の中心でした。
マツモトキヨシ本社は新松戸にありますが、北小金駅南側で創業した「松本薬舗」が元々のマツキヨのルーツで、かつては本社も北小金にあったそうです。
北小金の由来。
小金宿の北側に駅ができたから、だそうで。
その法則だと、松戸駅も同様で、松戸宿の北側に駅なので「北松戸」でないといけないという(;^_^A
宇都宮線の「小金井駅」と発音が近いから混乱しないように説もあり!?
各駅しかとまらないのに由緒ある駅なのを学習しました。
人間しか通れない道。
この先に罠があるとは当時は全く思わず(^_^;)
歩道橋の工事中で、遠回りすることを余儀なくされました、、、
余計なものを作らなくてもいいのにと(笑)
パシャっとな(笑)をパシャっとな(笑)通称PPされていました。
沿線ランをするなら、この歩道橋が完成してからをお勧めします(^^;;
北小金から南柏を走る途中、松戸市から流山市を経由します。
旧水戸街道を走りますが、歩道がとにかく走りづらかったです。
でも柏市に入った瞬間、歩道が整備されていたという。
流山市、お金ないのか!?それともつくばエクスプレス沿線の開発にお金を回してしまっている?
南柏駅
各駅停車のみ停車。
1953年に、北小金駅と次の柏駅との駅間が長い!ということで作られました。
かつては駅前に商店街があったものの、2000年代初頭に都市再開発が行われて、大型商業施設も多くあります。
柏駅
快速停車駅。
東武野田線(アノ名称は受け入れられない、笑)乗換駅。
柏市の中心で、常磐線で最大規模の繁華街。
「小金宿」と「安孫子宿」の中間に位置しており、鉄道開通当時は農村だったものの、利用客の増加に伴い繁華街にとなっていったそうです。
1973年に日本で初めてのペデストリアンデッキが整備された駅でもあります。
つくばエクスプレスが開通するまでは、千葉県で乗降客数1位の駅だったそうです。
柏市。
千葉県出身の2人ですが、2人もエリア的に完全アウェイ。
柏ってこんなに広いのね!と学習したのでした。
近くにあった町と最近合併している!?のもあるのかもしれませんが。
柏と言えば、柏レイソル。
柏の由来。
諸説あるようです。
①河岸場の転訛と言われ、手賀沼の港津であったことにちなむ説
②上期である柏が繁茂していたことによる説
③「かし(傾)・はし(端)」の転訛で、傾斜地の端という意味
柏の木がたくさんあるから・・・ではなかったのですね(;^_^A
そんなこといったら、「おかしーわ!」って返されてまう(柏市民の皆さんごめんなさい!)
今回走った常磐線の区間、線路沿いや大きな道沿いを進み続けることができずに、途中住宅地に入ったりなどが多かったです(;^_^A
地図との格闘の旅にとなっていました。
途中、慈恵医大柏病院を経由します。
こんなに何もない駅から離れたところにあったとは!
薬局オンパレードがすごかったです。
遠くに常磐線が走っています。
緩くて長い坂道を上ると、北柏駅。
キラキラ坂というそうです。
キラキラなんてしとらんわい(笑)
北柏駅
駅名より日高屋の存在の方がデカい気が(笑)
我孫子市との境に駅があります。
あけぼの山公園があります。名前は聞いたことがあります。
元々は貨物駅として作られる予定だったのが、柏市が旅客駅を併設するよう国鉄に請願書を出したそうです。
※貨物駅は1984年に廃止。
すべて柏市負担で旅客駅が作られています。1971年4月、常磐線複々線化に伴って旅客駅が開業しました。
請願駅が常磐線各駅停車にあるとは驚きでした。
柏市を過ぎると、我孫子市にと入ります。
人生初の我孫子市に足を踏み入れることになりました。
我孫子駅
あびこ、と読みます。
大阪にも「あびこ」があるので大阪の人はよめますね。
JR成田線乗り換え駅。
我孫子から先は全駅快速停車です。
昔から栄えていた我孫子宿の宿場町。
江戸時代には利根川の水軍が栄え、近くにある手賀沼湖畔(手賀沼ハーフマラソンの会場近くです)の景観が風光明媚な土地であったため、明治時代の末期から志賀直哉・武者小路実篤などの著名な文化人が別荘をもったことで文学の街我孫子として白樺派の拠点にとなったそうです。
今は新興住宅地にとなっていますが。
我孫子駅を今の場所に誘致したのは、地元の地主の飯泉さん。
「鉄道無くして街の繁栄はない」と、私財を投じて用地を確保したそうです。
千葉の我孫子も大阪の我孫子も、当地の「我孫子観音」が駅名や地名の由来となっているそうです。
難読地名と言われますが、常磐線各駅停車が小田急線にも直通してることで、神奈川県民の間でも知名度が上がっています。
我孫子の説明だけで長くなってしまいました。
地理感1ピコもない人たちにはつまらないブログかと…ホントごめんなさい!
我孫子駅に車両基地があったはず、と探すも見当たらず…
天王台に向かう途中、遠くに見えました。
これは電車にのらないと見えないやつ…次に茨城県に行くときは意識してみます。
天王台駅。
1971年に開業。
我孫子→取手間、天王台駅がなかったら営業キロで6km近く離れていたそうで。
茨城県の常磐線の駅は6kmくらい離れてるところもザラですが?!
我孫子駅に車両基地を設置するために誘致された駅です。
当初は各停しか停まらなかったものの、地元の人たちが「天王台駅快速電車停車確保連合会」たるものを作り、当時の国鉄に交渉。
ホーム増設費用を地元で負担するのを条件に合意が得られ、1978年3月から工事が始まりました。
当初は新我孫子駅になる予定でしたが、成田線東我孫子駅との混乱を避けるために駅所在地の小字である「天王」に台地を示す「台」をつけた「天王台駅」となったのでした。
混乱しないようにってナイス配慮だなと思います。
ないところ多すぎて(^_^;)
天王台を過ぎると、眺めが一気に変わります。
利根川を渡ります。
つくばエクスプレスの時と違って、線路近くを走ることができたのが救いでした。
(TXのときは5.6kmの路線距離を行くのに11km走ったので…)
茨城県に入りました。
取手駅
とりで、と読みます。
かつては取手宿があった宿場町でした。
2015年にかすみがうらマラソンに初参加した時に取手に前泊して以来の訪問。
駅前再開発でめっちゃ綺麗になっていてびっくりしました。
取手の由来ですが…
戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦があったことから名付けられたと言われているそうです。
ゴール!
取手→ひたちのうしくまではいつやりましょう(^_^;)
茨城県に入ると駅間が一気に長くなります。
そして、電化方式も変わってきます。取手を過ぎると直流電化から交流電化となります。
この先のレポは、また改めて。