日曜日。

完全ダメ人間だった土曜日をリベンジすべく、京成本線沿線ランをやってきました。

 

京成本線とは…台東区の京成上野駅から千葉の成田空港駅までを結ぶ、69.3km、42駅の路線です。

 

かつて、青砥から上野までは沿線ランを行いました。

歴史はこちらのブログからみてください。

 

 

 

青砥から東の方に向かってランをスタートします。

 

青砥駅。

 

 

全種別停車。

京成押上線(都営浅草線直通電車)乗り換え駅。

1928年に押上線と分岐するために駅が作られました。

講談(日本の伝統芸能の1つ)の太平記に登場する青砥藤綱が駅名の由来とされています。

地元の町名は川運の港を意味する「戸」からきた「青戸」混合されることも多いそう。

 

 

人生ゲームのまちとされている青砥駅。

なぜに人生ゲーム?

ラッピング車両、乗ってみたいです。

地元感満載のコマがいいですね。

乗り換えを間違えるのもたまりません(笑)

 

葛飾区内に人生ゲームを作っているタカラトミーの本社があること・発売55周年を記念しての形成絵遷都のコラボらしいです。

リアル人生ゲームが楽しめるデジタルスタンプラリーをやっていたそうです。

もう遅いけど、人生ゲームスタンプラリーランなんてやってみたかったです。

 

青砥→高砂間は複々線。

 

旧中川の橋を渡ります。

スカイライナーが川を渡っています。

写真一番下にあるのは、小岩と金町を結ぶ貨物線。

ゆくゆくは貨物線ではなくなり、旅客を乗せて走ることになるのだとか。

 

京成高砂駅

 

 

全種別停車。

京成金町線、成田スカイアクセス線(北総公団線)乗り換え駅。

金町線は、2012年から高架化して離れたホームになってしまいました。

昔は上野から直通電車があったのですが。

 

1912年に「曲金駅」としてオープン。

柴又帝釈天の参拝客から「曲金では縁起が悪い」と言われて翌1913年に「高砂駅」となりました。

※今後、京成◯◯駅の京成表記は最初以外は割愛します。ユーザーは京成を略すので。

 

 

開かずの踏切あり。

ゆくゆくは高架化されるように葛飾区も動いているようです。

車両基地がありますが、京成線はケチなので見えるように構造にはなっていません(^^;;

 

矢切の渡し道の碑たるものがありました。

この通りをいけば、矢切の渡しにつながる?

 

 

京成小岩駅

 

 

急行停車。

JR総武線小岩駅とは約1km離れています。

バス移動が正解なところです。

葛飾区と江戸川区との境。

ゆくゆくは高架になるそう。

 

小岩の地名の由来は諸説あります。

奈良の正倉院に残る下総国戸籍に記載された「甲和里(こうわのさと)が今の小岩エリアをさすといわれているそうです。

歴史あるところなんだなぁと。

 

京成スカイライナーが通ります。

 

 

すっかりこの車体が定着してしまいました。

赤と青のラインの車体が昔ながらで好きだったのですが。

しかもガチな喫煙車両がつい最近まであったはず。

 

江戸川駅へは、線路沿いをいくこと約1.3kmで到着します。

 

江戸川駅。

 

 

各停のみ停車。

1912年に押上駅から作られた第一期線の終着駅でした。

江戸川橋梁ができるまでは、対岸の市川までは船で渡っていました。

1914年に江戸川橋梁ができてからは、江戸川駅になり現在に至っています。

伊予田→市川駅を経て、江戸川駅に。

開業当初は伊予田村だったエリア、間も無くして小岩村に合併されました。

 

ホームからは、江戸川を挟んだすぐ隣の国府台駅を見ることができます。

直線距離だと600mですが、川を渡ると1.2km。

他の路線の川を越えるのに比べたら、かわいいものです

 

かつてはこの地から、千葉に渡る渡し船が出ていました。

 

 

小岩菖蒲園のラッピングバスが止まっていました。

 

 

菖蒲園にお金を払ってまで・・・という観光概念はなく(^^;;

江戸川駅から歩いて7分くらいで行けるそうです。

 

江戸川をわたります。

 

 

江戸川を渡るとそこには・・・

 

 

市川関所跡の案内がありました。

 

国府台駅。

 

 

各停のみ停車。

2002年までは急行も止まったのですが、格下げされました。

古くは「鴻之台」とも書かれており、開業時は「市川鴻之台駅」と呼ばれていたそうです。

読んで字の如く、下総国の国府(国庁)が置かれていたらしく、中世には現在の里見公園に国府台城がおかれるなど歴史のある地域となっています。

南の江戸湾(東京湾)を一望できる景勝地として古くから親しまれていたようでした。

 

1954年には、松戸駅から国府台駅までを結ぶ延長5.9kmを結ぶ神経線市川線計画があったものの、土地の買収に難航したことや北総線や常磐線の複々線化が計画された影響もあり、没案となってしまいました。

千葉大園芸学部、上矢切、下矢切、里見公園、国府台病院、手古奈と停車予定だったとか。

今あったら便利な路線だったんだろうと思います。

 

次の市川真間駅にいくのに通った道。

 

 

線路沿いを行けるのはありがたい限りだったのですがGoogleナビがさしたのがこの道でした(笑)

 

 

ちょっと広くなったところでパシャり。

 

市川真間駅。

 

 

各停のみ停車。

以前の京成電気軌道中枢部ともいえる場所。

駅の北側には京成直営の遊園地であった「東華園」があり、京成の初代社長・本田貞次郎の邸宅があったそうです。

この初代社長の記念碑があるも、スルーしてしまいました

 

 

駅の開業当初は「市川新田駅」

1921年に市川真間駅に改称されました。

2019年からは母の日限定で「市川ママ駅」に変更する取り組みが行われています。


駅名は「真間」という地名に由来。

江戸幕末期の歌川広重の「名所江戸百景」の一作「真間の紅葉手古那の社つぎ橋」に描かれています。

かつては背後に田園風景が広がっていたそうです。

 

線路沿いを900m走ると、菅野駅。

 

 

各停のみ停車。

市川真間駅周辺もですが、江戸時代の豪商が別荘を構えたことから別荘地として栄え、w.war2後も幸田露伴や永井荷風などの文学者のお屋敷を形成する高級住宅街だったそうです。

 

また、学校も多く、私立高校7、私立中学校5、私立小学校3と大規模な文教都市でもあります。

友達が中学から通っていたので、駅名はお馴染みでしたが初めておりました。

文化祭、そういえば行ったことがなく。

 

 

菅野駅すぐ近くに外環道が通っており、整備されていました。

 

またまた線路沿いを走り、京成八幡駅に到着!

 

 

ホームの端っこと踏切が近い!

 

 

京成八幡駅。

 

 

特急停車。

2013年に京成電鉄の本社が押上から八幡の旧京成百貨店跡地に移転しました。

 

ぽねこにとっては思い出の駅です。

予備校に、大学の時には予備校併設の塾での採点バイトにと通いました。

とまで書けば、千葉県出身であればどこの塾かわかるはず。

予備校では担任の先生に個別に英語を教わったり話をきいてもらったり。先生のおかげで英語がなんとかなったといっても過言ではありません。

バイトでは予備校の当時の室長の先生が採点バイト先のトップになったことと、室長がぽねこの大学の先輩であるご縁もあり、採点以外の仕事もさせてもらいました。これで給料もらっていいの?という内容だったのでした(笑)

 

今は都市再開発が半端なく、通っていた当時と比べたら変わってしまいましたが・・・・

 

最後は思い出に浸ってしまいました。

京成八幡から先のレポは、また改めて。