前回のレポの続きです。



春日部駅を出発。


次の一の割駅までは、線路沿いに行けば大丈夫!と完全に油断をしていました。


線路沿いということは、パシャっとな(笑)やり放題。テツ分補給しなければですから(*´艸`)



特急車両に、普段は見られない日比谷線車両にとテンションが上がっていたのは束の間でした。


進行方向左側の線路沿いを走っていたのですが、途中で右側に渡らないと行けないことをすっかり忘れて…



なんで東武野田線の線路沿いに走ってるんだ?と気づいた時には時すでに遅し…

楽に走れるところを、遠回りして一ノ割駅にと向かったのでした(泣)

バテてきた頃にこのやらかしはこころが折れます…


一ノ割駅。



1926年に開業。

かつては市野割村だったのが、駅開業時に「一ノ割」となりました。

朝夕以外は各停しか止まりません。


一ノ割の由来

江戸時代には市野割村と呼ばれていましたが、その後田畑となっている土地を一ノ割、二ノ割と読んだことから明治時代には一ノ割村となったそうです。


特急車両、キター!




緑色って東武伊勢崎線だと特急のカラーしかないからとても目立つようにおもいます。

撮るのもいいけど、乗りたいよー!


半蔵門線とと田園都市線車両のすれ違い。



普段乗ってるから感動なんてないけど

場所が違えばパシャっとな(笑)


武里駅。



たけさと、とよみます。

先ほどの一ノ割駅エリアと同様に、旧下総国に属しており、かつては香取神社に祀られていたようです。

千葉県エリアだったことにびっくり。

でも「武蔵野の里」から武里という地名ができ、駅名にもなっているそうです。


東京メトロからの直通の各駅停車のみ停車。


越谷市エリアにと入っています。


引き続き線路沿いを走ります。



田園都市線車両をパシャっとな(笑)

今回走るエリアに限っては、道さえ間違わなければ比較的線路に忠実に走ることができる路線です。

沿線ランとしては、やりやすいところかも。


せんげん台駅。



開業は1967年と比較的新しめ。

背景として、隣の武里駅と大袋駅の間ですが準急停めろ運動が勃発したのもあるそうです。

議員さんが出てきたり住民運動があったり。


トスカという駅ビルが併設されています。

日中は東京メトロ日比谷線and半蔵門線田園都市線直通電車のみ停車します。


駅の北側を流れる一級河川・新方川の古称and俗称である「千間堀」に由来しています。

地名は千間台ですが、駅名はせんげん台とひらがな表記も含んでいます。


かすかべ湯元温泉?!



地元では大きな温泉施設で、関東ではレアな塩分を含まないアルカリ性の温泉を持つところなんだそうです。

看板の昭和感がなんとも(*´艸`)

最近リニューアルオープンして綺麗になったそう。

沿線のいくつかの駅からシャトルバスが出ています。


温泉を調べながら、最大のやらかしに気づきました。

温泉が、春日部共栄高校の目と鼻の先!

前回の伊勢崎線や野田線沿線ランの時に、春日部共栄高校を聖地訪問するはずだったのに、完全に吹っ飛んでいたのでした(泣)

広島の4年目ピッチャー、大道くんの母校です。

阪神戦以外での活躍が楽しみな選手(*´艸`)

悔しいので、東武野田線で再び春日部からスタートする時に、武里駅を経由して春日部に行きます、、

おはぎちゃん、必ずいくから待っててね(涙)


気持ちを取り直して、再びブログにと戻ります。

新型スペーシア、キターーーーーっ!

これが噂のと、大興奮(*´艸`)



からの旧型。

どちらもあるのがたまりません(*´艸`)


大袋駅。



1926年に一ノ割駅と同じタイミングで開業。

地元の村名が駅名の由来にとなっています。

日中は、日比谷線直通電車しか止まりません。

せんげん台駅の時にも触れましたが、準急停車しろ運動が激しかったエリアでもあったそうで。


明治時代、恩間・大竹・大道・三ノ宮・袋山・大林・大房の7つの村が合併して大袋村ができました。

4箇所の村の「大」と袋山の「袋」を重ねて作られた合成地名。

ちなみに「袋」とは、柳田国男の著書によると水に関係あるところの地名に使われることが多いそうです。

池袋、沼袋、も確かにそうだったかも!


大袋駅を通過する新形スペーシア



2回も見られました!あとは…乗りたい(*´艸`)


この踏切を最後に…



この車体も田園都市線に直通してきています。

高架になります。

走ってるうちに、「あれ?踏切ない!」となってました(^^;;


北越谷駅



開業時からある駅。

宿場町である南埼玉郡越ヶ谷町の最寄駅として、開業当初は越ヶ谷駅を名乗っていました。

1919年に、現・越谷駅が開業するにともない駅名を譲り、地元の地名から武州大沢駅にとなります。

1954年、大沢町と越ヶ谷町が合併して越谷町が発足した後、1956年に北越谷駅となり現在に至っています。


埼玉鴨場に近く、開業当初の駅舎には貴賓室が設けられて鴨場に来訪される際に使われていたそうです。

東武鉄道で初の橋上駅となり、1999年には高架駅、2001年には越谷駅までの複々線にとなっています。

今は、複々線は北千住から、高架は竹ノ塚から続いています。

歴史のある駅なのに、日中は日比谷線からの直通の各停しか止まりません(^^;;


宿場があった跡地は公園になっていました。



令和6年3月だから、最近できたばかりの記念碑なのね。


高架で電車が見えなくてつまらないです(笑)



ゆくゆくは春日部駅近くもこうなってしまうのか?!

高架が多いとか、好感持てません(^^;;


高架下をずっと走って、越谷駅。



急行停車駅。


「町の発展と産業の振興のために、中心部に駅を」という町民の熱心な駅誘致活動から駅が開設されました。

東武鉄道との交渉の中で「停車場の設置費用16000円を寄付する」「駅と日光街道を繋ぐ道を作る」「商工業車は東武鉄道と貨物輸送の契約をする」などが挙げられ、当時の越ヶ谷町はすべて飲み込み、駅誘致にと至りました。

からの急行停車駅にまで昇格したのはすごい!


地名の「越」は腰とも書かれ、山や丘のふもとをさし、「や」は谷で湿地などの低い土地を指します。


再び、線路沿いを走って、新越谷駅。



武蔵野線乗り換え駅。

1973年に武蔵野線が開通した際に、伊勢崎線と交差する箇所に南越谷駅が作られましたが、当時は東武線の駅はありませんでした。

越谷市と東武鉄道との間で土地買収が難航したこともあったそうで…

遅れて1974年に新越谷駅として開業しました。

当時は、越谷市で一番新しい駅ということで新越谷駅にとなりましたが、2008年に越谷レイクタウン駅開業に伴って、新越谷駅が一番新しいわけではなくなっています(^^;;

かと言って駅名は変えられないですね…


新越谷駅でランおしまい。



約28kmのランとなりました。

うち応援ランで2km走っているので、実質の沿線ランは26kmくらい。

比較的線路に忠実なこと、東武鉄道のウェブサイトがしっかりしていて、ブログレポも書きやすい路線であります。



駅のホームで路線図をパシャっとな(笑)

今回のランを通して、東武伊勢崎線の沿線ランが浅草から久喜までつながりました。

スカイツリーライン区間(浅草→東武動物公園)コンプリート!






過去のブログを貼ってみました。

久喜から先は…群馬の伊勢崎までいつかは行かなきゃですよね(^_^;)


運賃表をパシャっとな(笑)忘れていました。



28km、380円の旅となりました。

先日のつくばエクスプレスにくらべたら、安っ!


長くなったので、新越谷から先の銭湯レポも含めておまけとやらかし編はまた改めて。