クリスマスイブの日曜日。
公式ライバル・はにかみ氏とMちゃんと、都営三田線沿線ランという名の鬼はにかみ練をやってきました。
都営三田線とは…
※画像借りました
都営地下鉄4線の路線図になります。
西高島平駅から目黒駅までを結ぶ27駅約26kmの路線
1968年に都営6号線として開業。
1978年に都営三田線に改名。
2000年に三田から目黒まで延伸しています。
当初は東武東上線和光市駅経由で直通する話があり、行き先クルっとな(笑)に志木・上福岡・川越などがあったそうです。
でも都心に向けて大きく迂回することや池袋を経由しないことで池袋地区の開発の恩恵を受けられないと東武鉄道が反対して却下に。
南側も三田から泉岳寺・五反田方面経由で新路線も作りつつ東急田園都市線や横浜市営地下鉄に直通する話もあったようですが、なくなりました。
2000年に東急目黒線、2023年に相鉄線に直通となりました。
4路線全てをMちゃんとはにかみさんにサポートしていただいています。
感謝しかありません。
日比谷から西高島平までは電車で移動します。
旧型の都営三田線車両。
今のメタリックの青いだけの車体はあかーん!(笑)
帰るとか言って、折り返しの電車で座るはにかみ氏(笑)
元気いっぱいな証拠です(*´艸`)
西高島平から先、どうなっているのか検証。
上には高速道路が通っています。
これが、もし和光市まで延伸していたらどうなっていたのでしょうか(^_^;)
改札を出て、歩道橋から西高島平駅のホームを確かめました。
途中で切れているのがわかります。
折り返しの整備はなく、着いたらそのまま折り返すことになるみたいです。
近くでみると、もし延伸したらどうなるんだ?と思ってしまいます(^_^;)
ここから和光市駅まで繋がる説もあったのかぁとしみじみ。
調べていたら、「都営三田線妄想延伸」的なブログも見ました。
彩湖あたりを通る路線、これはリアルにあったら彩湖へのアクセスがよくなるのにと思ったもの。
西高島平駅
高島平駅より西にあるから西高島平駅となりました。
公式ライバルさん、クラーク博士でしょうか?
それともどこぞの国の指導者でしょうか?(笑)
ここからランスタート!
巣鴨から西高島平は1ピコも地理感がありません(^^;;
線路の高架下を走ります。
駅間は1kmあるかないかの区間がほとんど。
近いです。
駅間インターバルと化します(^_^;)
新高島平駅
高島平駅駅よりも後にできたから新高島平となっています。
駅の仮称では志村団地とか高島平7丁目などあったそうですが…
こんな簡単な理由で駅名が決まってもいいものなのか??
高島平なのか新高島平なのか西高島平なのかわからなくなってしまうのはぽねこだけ?
都営地下鉄初めての自動改札機が試験的に導入されたそうです。
都営地下鉄の中で3番目に乗降客数が少ない駅です(1位は国立競技場、2位は白金台)
再び高架下を走って…
その間、はにかみ氏は「キロ7で行く」宣言しながらも実際はキロ6は出ていました。
速さの体感、遅いと思っていても実際にスピードを出せているところがすごいなぁと。
到底敵いません(^_^;)だからこそのライバルです。
高島平駅。
開業当初は志村駅でした。
当時の駅の所在地が「板橋区四葉町」で、赤塚地区の中にあったので地元住民からは「駅がある場所は志村じゃない!ふざけるな!」と異論が噴出したため、翌年に高島平駅にと改名しています。
高島平の由来。
地主さんたちの議論ののちに、江戸時代後期、ペリーさんがやってくる前に地元で砲術訓練を行い、一躍天下にその名を轟かせた高島秋帆の姓と地名の「平」から高島平となったそうです。
高島さんですが、演習がうまく行ったことを妬んだ人たちにより約10年ほど牢獄で生活することに…
昔も今もこういう妬みとかいじめとか、かわらないのね、、、
でも牢獄から出ると、開国にも貢献して近代国家への道を開くことに成功して、地名にとなりました。
次の西台駅の間に志村車両基地があります。
基地はあるけど電車がない…
まさか全部出払った?と思ったら…
この中に入っているようです。
歩道橋から、網が邪魔だ!と思いながらパシャっとな(笑)
PP定期(笑)
この間に、はにかみ氏はぶっちぎって走っていました(^^;;
止まっているのがわかります。
まだ外から見られるだけ合格ですかね(*´艸`)
内部も見えました。
奥にある青いだけの車体が新型車両です。
これじゃぁ物足りなくて
上りました(笑)
良い子は真似をしたらいけません(笑)
直通している東急目黒線が見られました。
逆を言えば、元住吉の車庫に都営三田線車両が停まってますね。
今、元住吉の車庫はいろんな路線が直通してるからすごいことになってるはず。
また偵察に行かねば。
西台駅。
地図を見ると、車両基地、都営住宅に併設する形で駅があります。
団地の住民の利用客がとても多いようです。
駅前一等地、車庫もあって…
なんとも羨ましいです(*´艸`)
今は8両編成ですが、東急線に直通するまでは6両編成だったので、ホーム延伸問題が勃発しています。
西台駅もホーム延伸が大変だった駅の1つでした。
車両基地に直結しているので乗務員の交代が発生している駅です。
大東文化大学板橋キャンパス最寄駅。
駅の副名称になっています。
1513年に多田彦六老母寄進状写に「西代」の地名が記されたこと、志村の台地にある志村城から見て最も西に見える台地を西台と呼んだことに由来しています。
長くなってしまったので、西台から先のレポはまた改めて。
西台に次第に近づく…ではなく、遠ざかります(^^;;