生きるために無意識に誰かを傷つけて優越感に浸る有象無象。
自分は優れているんだという錯覚に酔っている。
単細胞すぎてうらやましいくらいだけど、傷つく痛みを知ってしまうとそうはなれない。
かわりに、生きる活力を色んな表現者たちからもらってきた。
絶望的な孤独感はあったとしても、間接的にでもそんな繋がりがあってくれた。
感謝しても足りないくらいで、できるなら自分も何かを生み出して世界に還元したかった。
そんな力も余力もなくなってしまったけれど。
今もまだ世界と小さな繋がりはある。
だけど、大好きだったものがここ数年で消えていった。変わっていってしまった。
世界に立っている感覚もなくて、居場所がないから当たり前なことで、それでも必死に何かにしがみついてきたんだと思う。
自分の足で立つことが人として当然だけど、その当然を許されない人種は世界に無数に居る。
当たり前に生きるだけでも全身全霊の戦いで、叶わない夢だった。
しがみつく対象は間違っていなかったし、むしろそれらに出会えたことは恵まれていた。
いい、時間だった。
それも終わって、代わりを探すように新しいものを探し続けてきた。
それはかりそめのものであって、何も楽しくはない。
夢のあとというのはそういうものかもしれない。
他人の人生だったり、自然の驚異だったり、自分ではどうにもならないことがある。
まさにそんなことが重なって、しがみつく対象は消えていってしまった。
自分自身で立ち上がれたらいいのに。
自分自身になれたらいいのに。
だけど、子供がアリの巣に水を流し込むように、なす術もなく居場所は奪われていく。
同情されることに怒る人もいるが、同情すらされずに蹂躙されていく人たちもいる。
人の世界に居場所がないのなら、遠くから人々を眺めるだけで寂しさが増すのなら、人の見えない世界に行きたい。
時々、妙に歩行者や車に出会わない瞬間がある。
世界に誰もいなくなった?とくだらない一瞬の妄想をするが、その妄想に安心してる自分がいた。
すでに、人の世界にいながら人ではなかったから。
怪物として生きてきた自分に足場があるわけがない。
それでもこうして声にならない叫びをあげているのは、醜くとも生きようとしているからかもしれない。
こんなことで世界と繋がることなんてないのに。
そんな自分が笑えてきて、自分で自分を同情したいのかな。
もう、立ち上がるどころか、ずっと落ち続けている