善と悪の境界線 -4ページ目

善と悪の境界線

趣味と日常。



恐怖の対象を事前に嫌がる人。

それはパターン化された結論がどれも望ましくなかったからだろうか。それとも空想の何かだけで訳も分からず震えたのだろうか。


何かが起きる前に嫌がるとは一体どういった心理か。

考えた結果望ましいものではないから?



もし想定するより前に精神崩壊する程の恐怖を受けた場合、それは恐怖だと認識出来るのかな。

いや、まあ受けた時点で新たな想定がされるのか。精神崩壊するなら生きてるわけだからね。だが崩壊して正しい思考には向けるのだろうか。



不思議だね、うん。

何れにしても興味深い。恐怖だなんて素敵じゃないか。



馬鹿にする人間と、未だ悲しむ人間と、喜んだ人間と、恨んだ人間と、何とも思わない人間が居る。

思考と行動は人それぞれだが、だからこそ常識が世の当たり前ではなかなか動きにくいだろうに。

非常識が時には幸福を齎すことも無いとは言い切れない。寧ろ対立があってこそ常識があると思うんだがね。




ところで今日は疲れた。

荷物が大量にあった所為か気力を大幅に消費してしまったようだ。寝る。



音声データを久し振りに再生した。この声の持ち主が死んでいるのだと思うと不思議なものだ。


写真も何年か振りに見た。

生前の姿と死後の姿を比較すると全く異なる。


変わり果てる様子は人に限らず何にでも起こるわけだが、身近な存在というものはどことなく興味も増す。

死そのものは平等だけど。



誰が死んだところで僕は同じだと思うよ。これはどうでもいい情報なのだろうが。

まあ死んだという事実は何が対象であっても変わらない。フィクションの中ではそれこそ何とも思われずに死んでいけるだろうが現実はそうもいかないからね。


誰かが居れば誰かに影響は与えられる。
影響がどんなものであっても関わりは存在したことになるんだろう。








ところで自殺した人間が最期に何を思って死んでいったのか知ってみたいな。追い詰められた思考の過程と結論に興味がある。