変人小泉首相が首相に就いた2001年。今まで見たことの無かった新鮮な首相の姿に、細川護煕首相を重ねた人も多いはずだ。細川首相は、(小沢一郎の力を借りて)これまでの選挙制度では政治と金の問題から脱却することは不可能と考え、これまで自民党の反発によって成し遂げることのできなかった政治改革を行い、小選挙区制を導入した総理のことである。
その細川首相がどのような点で小泉首相に似ているかというと、メディアパフォーマンスが格段に上図だったことが挙げられる。首相会見で首相がアメリカの大統領のように立って話すというのを最初にやったのは実は細川さんが初めであった。このような格好のよさが国民に受け、細川首相は高い国民の支持を得ることができたのである。
政治改革を行うために細川さんは、自民党を離脱し、国民新党を設立。同じく自民党を離脱した小沢を中心とした新生党、武村を中心とした新党さきがけとともに、当時社会党を率いていたいた土井たか子に議長を揺することで社会党をも味方につけた。

ここで、政治改革がなぜここまで必要だったのかを説明したいと思う。また、これがこの章の最も大事な部分と考えられる。これまでの日本は当たり前のように中選挙区制がしかれていた。しかし、中選挙区には大きな問題があったのだ。中選挙区は、一つの選挙区から政党を同じくする人でも複数選出されるため、政策を同じくして共に同じ政党に入っている人同士でも、選挙期間中は当選のための敵となってしまうのだ。これは非常に多きな問題を生んでいた。
政策を同じくする二人であるため、差をつける場所は政策以外の部分でしかなくなってしまう。となると、金で差をつけるしかないのだ。経済成長も終わり、日本が安定期に入ると、そういった政治家と建設業などとの癒着がもう無視できないほどにまで広がってしまっていた。この、政治と金の問題を失くすためには、小選挙区にすることが最も効果的と多くの人が考えるようになったのだ。
※小選挙区制は大政党に圧倒的に有利であったため、小政党でもある程度の議席数を確保できる比例代表と組み合わせることによって、小政党の賛成を得ようとした。

このように、政治と金問題を解決するため政治改革を行い、国民の支持を得ていた細川首相であったが、辞任する時はあっけなく来た。
初の連立政権であったためになかなか議論がまとまらず、また、小沢が強引に物事を進めていったため与党内部でも首相を疑問視する声が聞こえ始めた途端、結局細川首相はあっさりと辞任してしまったのだ。急に召集された内閣会議で決まったことである。わずか八ヶ月の任期であった。