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Luke & Soleil Company

Never let the light of hope fade in your heart!

旅をして、改めて自分の姿に気づくことがある。

今回、京都への一泊二日のほんとに小さな旅で得たものは、日常では気づかなかったものに気づかされたような気がする。





自分は子どもの頃から日本的なものがとにかく嫌いだった。畳や襖、障子、床の間など。力を加えるとすぐに壊れてしまいそうな紙や木でできた建具。そして特に神社仏閣は怖いものという印象が強く、観光スポットになり、大人たちが美しいというのが全く理解できないでいた。美しいといわれながらも著しく傷んで、木と紙の古い匂いがなおさら自分を遠ざけていたように思う。








日本の色彩感覚も、着物などに見る艶やかさがまったく嫌いだというわけではないのだけれど、色使いが多過ぎることが必ずしも美しいとは思えず、陰と陽が織り成すギャップが激しい日本の伝統的な空間がどうしても好きになれないでいた。





それでも自分が関心を持ったのは、海外の人が書いた文物に触れて以来で、実は今でも日本料理をはじめ、日本の古典的なデザインすべてにおいて、強引なほどに思える強い印象を持つ美意識に対し積極的に好きだという感情は持っていない。





自分にとっては異質なもの、というより合理性を欠いたものといったらいいのだろうか、全くの拒絶なのだと思う。(しかし、これが海外の人にとっては強烈な魅力に映るのだと思う)

さらに、過去のことを、さも見て来たかのように記述している歴史の教科書が大嫌いだったので、洋の東西を問わず、ほとんど歴史の勉強の記憶は残ってはいない(笑)しかし、自分で考察しながら推測する授業だけは大好きだった。自分の推理した作文は中学の日本史の先生から、いつもどういう訳か褒められていた。

今回は、preciousからのリクエストで、急きょ新幹線で京都へ。自分では何もできず旅行会社に駆け込み、パック旅行に頼ってしまった。拒絶感から、preciousにも本当は京都が嫌いなんだとまで言い放ってしまっていた(汗)





自分は京都に滞在し、その文化や歴史を学ぶことができるとしたら全く厭わない。日本の古典文化や貴重な遺産が集中し、正に宝に恵まれた地だ。しかし、仕事や観光というと、どうも気が引けてしまう。京都人の二面性も出張や仕事上でこれまで数多く見てきた。観光地で未だに耳にする説教じみた解説も嫌いになった理由のひとつかもしれない。退屈そうな修学旅行生の姿に自分の昔が甦るようだった。





今回、京料理を食べた店でも、京都らしい経験をした。客人に必要以上の優しい声をかけながら(これは気配りではない普段の作法だと私は解している)、食器をずさんに置いたり、茶を毎度こぼしながら注いだりと、それを見たpreciousと顔を見合わせて笑ってしまった。予約無しでも入店できたこと、先の客人が早く退席されたので個室があてがわれたことを考えると、相場よりは安く感じられた京料理だった。しかし、味は確かなもので、舌の未熟な私でも季節感を感じさせる料理人のこころは存分に感じることができた。







店を出る前に、「30数年来の京都観光、季節の味を堪能できた・・・云々、予約無しで申し訳なかった」と感想を述べると、先の中居さんはすかさず、店の奥からpreciousのために英文の名刺を探して出して来て、差し出しながら床に頭が付かんばかりにお辞儀をする。店主は自ら店の外まで出てこられて、またのご来店をと、丁寧な挨拶を深々とされてしまった。やはり京都なんだと再確認した夜だった(笑)





日本人の醜い部分をずっと診てきたからなのか、以前にも書いたように日本人をすっかり嫌いになってしまった感がある。もう重傷な職業病なのかも知れない。冗談まじりが、最後の方では悲鳴のようになってしまっていたのか(笑)preciousが、二条城を見学していた時に発した言葉。「これがあなたのアイデンティティ」・・・私は何も言葉を返すことができなかった。

でも、よく考えてみると、もちろん反論する気力もない。美しい庭園の中を二人で歩いていると時間を忘れるほどに天候にも恵まれ、その美しさの虜になってしまっていた。





欧州の古典を見ると、確かに古いことがわかる。しかし、現代にも十分通ずるデザインが多々あり、私にとっては決して色褪せては見えない物が多いような気がする。しかし、日本は江戸時代で一度文化に区切りがついてしまって、明治以降の西洋化が今ある日本の原型にしか自分には思えない。だから、文化や歴史の連続性がいったん途切れてからのものは、あまりにも異質に見えてしまっているのだと思う。





世界遺産には、本当に多くの外国人がやって来ている。preciousと共に驚いたのは、着物のレンタルをして歩いている若い海外の男女が多くいたことだった。異文化への憧憬がよく伝わってくる。微笑ましいのと滑稽さが同居していた。コスプレ発祥の国の影響か(?)きれいに着こなしを楽しんでもらいたい。

今回の旅で改めて自分の年齢を感じてしまった。どんなに気持ちだけが若い時と変わらずとも、肉体の変化は嘘をつかない。生活習慣を見直す機会をまた得られたようだ。人間を扱う仕事はやはりストレスフルになる。本当は嫌いでもないのに、嫌いだと言いきってしまうのは、それだけ病んでいる証拠だと、実のところ理解している。旅の疲れが取れた時、本当の意味での自分の欲しいものが見えてくるのだと思う。(文中、京都人を蔑視するような表現をしましたが、本心からではありませんので、お許しください。私の好きな京都の方も沢山いらっしゃいます)

preciousは無事、自宅へ着いたと今朝連絡をもらった。私の苦手な食事の心配がなくなるのは嬉しいけれど、次回はもっと日本人と触れ合いたいと言い残して帰っていった。またしばらくの間さみしくなるけれど、インターネットの恩恵は図りし得ない。きっと今頃、時差ボケに現実を強く感じているのではないかと思う。




帰りの新幹線に乗る前に立ち寄った、京都茶寮の和菓子の味が忘れられない。

いまだ語学を学んでいる者として時々感じることに、

教育者が熱心になればなるほど、学び手は勉強に対して何らかの不快感を抱きやすくなること。

つまり互いの焦点が合わずに、需要と供給に大きなギャップが生じてしまっている場合だ。

人はあまり干渉されることを好まない。

しかし、多くの熱血教師はそれに気づかず、自分の人生論、価値観を押し付けていることに残念ながら気づいていない。

私も教育者の端くれを演じてたことがあったので、教育はすごく難しいジャンルだと思っている。

専門性が高ければ、かなり突き放した指導方法でも許されることが多い。

つまり、ついて来たい奴だけついて来いと言わんばかり。

本来はそれも問題があるのだけど、専門性が高い分野は時間との競争が求められることが多いので致し方ないとも言える。

しかし、語学は将来、語学理論を追究する者以外は日常のツールであって、どれほど使えるようになれるかが問われている。

私は現在、フランス語と英語のトレーニングを受けているけれど、

その教師たちのピントのずれた熱心さに辟易している。

つまり客観性が著しく乏しい。何かと精神論を述べられても、主観の域を出ず胡散臭さだけが残る。

つまり自分の人生経験を語るにはまだ青臭く、偏った価値観が強い。例え話がヘタだと言わざるを得ない。

社会での信頼を得るためには、年齢が若すぎるのはマイナスである側面がまだある。

つまり、説得力に欠ける強引さは、受け手の足を引っ張るばかり。

昔の人はよく言ったものだ。

世間に顔を出すのは、42歳以降だ。そうでないと、社会的信頼を得るまでに苦労する。

という自分。自分の意に反して、20代から全国誌の広告に出されていた。

いまでも私の名前を検索エンジンでサーチすれば、真っ先に引っかかってしまう。

なんていう時代なんだろう。

プライバシーなんてものはかけらも存在しない。

さらし者状態。

だからWebで私を探し出して来院される人が少なくない。

家族がいなくてホッとしている。

でも世の中には、目立つために、仕事のために必要な人も大勢いるのを知っている。

インターネットの中での自分、いつになっても慣れることがない。




無事、日本にやってきて、そして誕生日を祝ってあげることもできた。

幼少時からの睡眠障害があり、薬を処方してあげると、

今まで経験したことのない睡眠を得られたと喜んでくれたところまではよかった。


人間は何かが改善すると、また新しい不満が芽生えるようだ。


私が疲れて先に寝入ってしまった次の日に、

涙目で「悲しい」といわれ、戸惑ってしまった(-"-)

確かに二人とも風邪をひいていたから元気がないものだと思っていたら、

いつも自分は一人ぼっちだというものだった。

もっと人と関わりたいということを訴えてきた。

確かに日本語学校以外はほとんど一人にしてしまっていた。

いつかは言われると思いながら、

私もpreciousの意向もあって、英国関係の友人と縁を切ってしまって以来、

英語を話せる友人がいなくなってしまい、紹介することができないでいた。

しかし、preciousの望むような日本人がいるのかというと、

日本人のほとんどは英語は苦手と即答されるほど、アレルギーのように反応されてしまう。

英語の堪能な従姉妹にいつかは会わせようと考えているのだけども、

私も日程の調整がなかなかできないでいる。


確かにそういう意味では、不健康な生活を余儀なくさせてしまっている。

しかし、料理が苦手であったり、日本食が食べたいという一方で、

「これは食べられない」「これは苦手」というように

こちらも顔色を見ながら調理したり、購入したりしている。

すべてを私に委ねていながら、

いいたいことを言われて私も正直、不機嫌を装ってしまった。


しかし、そうはいっても自分の大切な伴侶だと思っている。

不機嫌ながらも、好きな料理を作って食べさせたあと、

「シャワーを浴びてくる」といって席を立った。


階下で疲れを流すようにシャワーを浴びていると、

外でpresiousの声がする。

「どうした?」といって扉をあけると、

裸のまま黙って立っている。


なんだか、子どもみたいなやつだなと思う瞬間だった。

僕らは過度のスキンシップは持たないけれど、

できるだけ距離を縮めようと努めている。

日本人らしくないとよく言われる所以だけれども、とても大切だと認識しているからだ。


今朝はもう元気ないつものような顔をしていて、内心ほっとしている。























今年は天候に恵まれ、なんとか花見をすることができた。

遅咲きの八重桜が私たちを楽しませてくれた。

日本人よりも外国人の方が多かったように思う(笑)