無事、長丁場のオペを終え、
ひとときの安らぎを感じている。
全力疾走したあとの、気怠さと放心した瞬間のように。
今朝、私の出勤時間に合わせるように家内(実際は過去形)より
半年ぶりにメールが届いていた。
以下、私信の転載です。
おはようございます。
プレゼントありがとうございました。
東京は震災の影響で大変なようですね。
こちらはみんな元気です。
沙○は、バレエを習い始めました。運動が得意のようです。
瑠○と佑○は、勉強ができて、通知表はオール「出来る」でした。
(出来る 普通 もう少しの三段階です)
こちらは、震災の影響もなくみんな元気にしています。
それでは、お体に気をつけて、ご活躍ください。
急いだような携帯メールを見て、
なんとか、がんばっている様子を確認できた。
以前、奥手の長男のことを案じて、
「パパ、佑○は勉強苦手のようだから、期待しないでね」
といわれたことを思い出す。
彼女にとっては、私の母親からの後継ぎ発言がかなり
プレッシャーになっていたにちがいない。
親というものは、往々にして余計なことをいう。
ほとんどの医家の家系は、これでみな家庭内が不協和音を奏ではじめる。
私は、勿論そんなことはかけらも考えていないどころか、
子どもが迷ったときに柔軟にアドバイスできることが
親の務めだと思っていたので、正直不愉快だった。
この仕事、使命感だけでなるものではないし、
人生を捧げる気概を持てなければ、けして選ぶものでは
ないと考えている。つまりなりたくてなるものではない。
私が以前、子どもたちに投げかけた言葉は、もしかしたら
彼らのこころにしまわれているのかも知れない。
被災地の方々には大変申し訳ないが、
遠方との温度差はこれほどまでに違います。
しかし、未来を作って行ってくれるだろう小さな人たちが
何とかしようと、小さいなりに考えているに違いありません。
未来は、私たちだけのものではありません。
ともに夢を見ていきましょう。
LUKE
憂鬱になる主な原因は、物が不足することではなく、
愛する相手をもたないことです-ダライ・ラマ14世-