Luke & Soleil Company

Luke & Soleil Company

Never let the light of hope fade in your heart!

    ソレイユカンパニ・・・こころに太陽をもった仲間たち


          ひとの喜怒哀楽は季節にも似て

     そんな日常をひとりの人間を通して感じるままに

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少しずつだけれども、preciousの日本での環境が変化してきた。

何よりも嬉しいのは、自分から外へ向かって行くことに臆することがなくなったことだ。

日本人が好き、日本人に受け入れられたい。

そんな気持ちが伝わってくる。

しかし、自分は日本人が嫌い、できるだけ日本人に会いたくないという今日この頃(笑)

仕事柄、どーかゆるしてください<(_ _)>


自分たちを受け入れてくれた人たちと出会って、日本語の勉強にも熱心になり、

やっと自分のドライブ(やる気や原動力)が見つかったようだ。


「Lukeが昔、フランス語を勉強してた時のものを見せて」と昨晩突然いってきた。

自分の書斎からゴソゴソ探し出せたのは、学生時代の一部のノート。

その日付を見て、二人ともぶっ飛んでしまった。

当たり前のことなのだけど、実物を見て、ちょっと気が遠くなってしまった(笑)

なんと、88年1月22日の記載・・・ということは、

preciousがまだ3歳のときに、自分は大学でフランス語を学んでいたことになる。

なんだ、その当時は奴よりもフランス語を知っていたのかもしれない^^;





今は、日本語の動詞の暗記に必死になっている。

自分は学生を指導していたこともあって、けして私の方から何かをするようには

仕向けなかった。しかし、ここ最近になって、毎晩暗記のチェックをさせられている。

いよいよかもしれない。

嬉しいとともに、こちらも本格的に準備をしなくてはならないかもしれない。


以下は、FBに記載したものです。


Everyone knows that having difficulty in remembering things does not necessarily mean being stupid. Usually, there are reasons for not being able to memorize things. As a child, I hardly spoke and struggled to learn words. Actually, I wanted to speak but I could not. As you may guess, I suffered retarded speech development for a long time. However, I also had a reason for not being able to learn; I was bravely trying to build my own logical rules that governed the language. I was unable to combine and manipulate two different ways of speaking: talking about ideas which I contemplated, and uttering words without thinking. However, when I was 16, I wrote an essay with my own words which suddenly won a prize. Since then, I found joy in expressing myself through writing. For the first time, I was writing using my own words, without others' help. After that, I started entering my essays for competitions, and eventually they gained popularity. This gave me confidence to use words, and thereafter, it was amazing how life began to offer more opportunities.

When you are myopic, you tend to be pessimistic about the future. However, if you keep your head up, look ahead and concentrate on the future, you will enjoy the process as you start moving in the right direction. I believe that beginning a process is always painful but important time. Though we may think that those who quickly learn the ropes will succeed, that is not always the case. Nothing beats understanding built on a time consuming and painstaking learning process. When you set off, a small mistake can seem like big failure. However, learning from such mistakes will lead to better quality of work and eventually, success that you might never have imagined. Indeed, learning is just like life. Looking back, I started by toddling, was able to walk stably gradually, and then started running. A person's growth is indeed amazing. Nothing is impossible. Trying it out is what matters. Giving up is easy. I think of my childhood whenever I am tempted to give up. ''Never get tired'' - this is what I was told by my teacher who was always there for me. I keep telling this to myself. 


ものを覚えられない、このことが頭が悪いということに直結していないことは、誰もが知っていることだ。覚えられないのには、多くの場合何らかの理由がある。私は子供の頃、言葉をなかなか覚えることができず、話すことがほとんどなかった。いや実際は話したくてもできなかったのが本当のところだ。そう、私は長い間、言語発達遅延という自分にとっては長く辛い時間を過ごしていた。しかし覚えられない理由があったのも事実だ。それは、果敢にも言葉の合理的なルールを自ら組み立てようとしていた。考えをまとめて言葉を発するということと、考えずに言葉を発するということの両者の使い分けができなかったのだ。しかし16歳の時、自分の言葉で書いた随筆が突然、賞をとって以来、私は書くことによって表現する喜びを獲得するようになる。生まれて初めて人の力を借りずに自分の体から出てくる言葉だけで書いた文章で。その後は、応募したエッセイが世間で多くの人の目に触れるようになって、言葉を用いる自信もついてくるようになると、不思議なもので、人生とは将来の可能性の機会を与えようとしてくれるようになる。

足元ばかりを見ていると、次に起こり得そうな悪い事ばかりを想像してしまうのが人間だ。しかし頭を持ち上げ前を向き、ひとたびその意識をその先に見える将来へと向けると、人は自然と歩み始め、それを楽しむようになる。何事も始まりは辛くとも大切な時期だと思う。要領をつかむのが早い人が必ずしも実力が伸びるかというと、意外とそうでもない。時間がかかっても苦労して得た理解に勝るものはない。はじめは、ほんの小さな躓きが大きな過ちに思えてしまうものだ。しかし、その積み重ねが質を向上させ、ひいては本人が思っている以上の結果を導き出すことになる。まさに学びは人生そのものなんだ。いま思えば、よちよち歩きが次第にしっかりとした足取りになり、走ることだってできるようなるのだから、人の歩みというのは本当に素晴らしい。できないことはない。やり始めることに意義がある。諦めることはいつだってできる。歩みを続けることの意味を忘れそうになると、私はいつも子供の頃の自分を思い出す。「倦まず弛まず」これは私を傍らでずっと見守っていた恩師が私に与えてくれた言葉だ。いつも自分に言い聞かせている。


日本語学校の申し込みが済んだ。

ゆとりある緩い日程と、ちょっとハードなより多くの日程のコースを自由に選ばせると、

preciousにとっては、きつい方を選択していた。

日本語学校の先生から、大変嬉しいと連絡をもらった。

これで少し肩の荷が下りたかも知れない。



郵便物を受け取るために、売りに出している実家へpreciousを連れて行った。

すると畳の部屋を見つけるなり、「畳!!」とひとり、さわいでいる(笑)

こいつ一体何者なんだろうと思う反面、日本の何かに本当に同化したいのかもしれない。


私が5年間だけ過ごした部屋を見て、感じるものも多かったようだ。

20数年前のまま、まるで時が止まったかのような佇まいは、

懐かしいような、思い出したくないような、私には複雑な心境にさせる。


行きがてら、3基のシャンデリアの大小の電球を買い求め、改めて灯してみると、

暗い部屋が見違えるように明るくなり、まだ充分居住に耐え得るように思えた。


購入を検討している人は、土地だけではなく家そのものにも関心を持ってくれたようだ。

本来は、家は取り壊してしまう対象で、0円の査定にしかならない。


まだまだ磨けば生き返る家であるのは、この私でも理解できる。

しかし私はこの家には住めない、あまりにも思い出したくない過去の思い出が多いからだ。


玄関ホールのビーナス像を水で洗い、床の土埃を洗い流したら、

本来の美しさを取り戻してくれた。20数年という信じられない時間の汚れは、

一体何だったのたろう。なぜ私の家族は指一本触れようとしなかったんだろう。


欧州のデザインを模した私の身長程あるYAMAHAのホールクロック(振り子時計)の鐘を鳴らすと、





preciousもよい作品だと言わんばかりに、欧州でも同じように20-30年前よく見られたと説明してくれた。


応接室のシャンデリアに、私が子供のころコンパスの針で刻んだ1974, 12の文字は、

preciousにとっては、かけらも存在しなかった時代だといって大笑いした。

preciousは10年後に産声を上げることになる。


自分はなんて古い時代から生きているんだろうと、感傷に浸りそうになってしまった。

しかし、すべてが色褪せることなく、当時の色のまま存在しているのを見ると、

不思議と古さを感じない。まるで息をひそめ生きていたかのように思える。

まったくもって不思議な感覚になる。





そんな場所にpreciousと共にいられることも、想像もしなかったことだ。

この家にまつわる過去の出来事を話すことによって、

私がこれまで機会あるごとに話してきたことが、点と点を線で結ぶように繋がったようだった。


私は過去を封印しようばかり考えていた。

しかし、preciousは私の過去と共に未来を見ようとしているのかもしれない。
仕事が忙しかったせいか、体調を壊して休日も家で過ごすことが多かった。

案の定、ストレスを溜め込んでいたようで泣かれてしまった。

自分はいつもここではひとりだという決まり文句に、

返す言葉は「ゴメン」しかない。


社会人になってしまうと、新しい友人を作ったりすることは、ほぼない。

かといって、やはり忙しくしている古くからの友人に突然会わせることも難しい。


私がいない間に、何かを積極的にしてくれればよいのだけど、

まだ異国の地で言葉が通じないことがストレスを産んでいるようだ。


日本語学校へ連絡し日本語のレッスンの予約をする約束をして

やっと少し元気を取り戻してくれた。

日本語の先生は、preciousを最も受け入れてくれている人のようだ。


日常生活ではあまり年齢差を意識しないでいられている。

しかし、まだまだ子供っぽいところが多分にあることを今回強く感じた。

当然と言えば当然だ・・・と反省している。


互いの人生が色々なイベントを抱えながら、そしてストレスを回避していくには、

寛容と努力は必須条件。

噴火や地滑り、感染症、世間を賑わせている問題も霞んでしまうほど、

いま自分たちの目の前にある問題へ目が向けられていられるのは、まだ幸せなのかも知れない。


卒後、自分が勤務するようになってから、

親や兄弟たちは、私から与えられるもので自分たちのこころを満たそうとしてきた。

笑顔を見たいがために、そのように仕向けたのは自分であったのだけど、

しかし当然ながら自分にとっては異常な負荷だった。

してあげていることで、自分が満足していただけだった。


いまは経済的な援助以外は、無情にも一線を画しているけれど、

人間の飽くなき欲求というものは、尽きることはない。


心を亡くす程にかけってきたこれまでを振り返ると、

自分が診察した患者さんは、カルテを確認してみると延べ10万人を超えていた。

手術に至った人は、およそ3万人。


毎日、「もう人に会いたくない」と思うのは、ある意味自然の流れかもしれない(笑)


今一番したいことは、山にこもって、無心に粘土をいじりながら陶磁器を焼きたい。

そう思うのも、精神的な防衛機制のひとつなのかもしれない。