こんばんはお月様

マザーズスキルサポート代表

平成のおせっかいオバサン

龍滝知佳のブログをご覧くださり

ありがとうございますキラキラ

 

先日、無事にmamaま祭り札幌2017を

開催いたしました虹

ご参加くださった皆様、

ご出店くださった皆様、

ありがとうございましたクローバー

イベントのお礼はこちらの専用ブログにて

させていただきましたラブラブ

 

さて、今日は母の命日ですチューリップ赤

毎年、何かしら母への思い

ブログで綴っております

 

今年も、お付き合いいただけると

嬉しいです星

 

数日前から、

母との思い出を振り返り

「あれ・・・?」と

思う事がありました

 

それは

 

母との最後の会話の

記憶がない、という事です

 

私の母は末期のすい臓癌で、

見つかった時にはもう

余命2ヶ月という状態でした

 

それでも、告知から1年も

元気に生き続けてくれました

 

その間に、見送る覚悟も

それなりに出来たものの、

思った以上に元気だったので

「まだこのまま生きていてくれる」と

家族の皆が思っていたものです

 

しかし、

当時入っていたホスピスの看護師さんは

さすがプロですね・・・

 

ある日、お見舞いに行くと

「お母さん、もう、長くないと思う」

と言うのです

 

にわかに信じ難い言葉でした

 

だって、あんなに元気じゃない・・・?

 

まだまだ生きててくれるんじゃないの・・・?

 

しかし、

その微かな望みは思いがけず、

母自身の意志で絶たれる事になったのです

 

看護師さんの言葉を聞いたすぐ後に

母から

「もう、日中起きているのが辛い。

薬で眠らせて欲しい」

と言われたのです

 

癌になってからも、

食欲もあり、

痛みもなく、

本当に末期の癌患者かと思うほど元気だったのですが

この頃には腕の麻痺や痛み、

排泄困難に陥っていました

 

ホスピスという場所柄、

日々周りの病室で沢山の方が

亡くなっていきます

 

私がお見舞いに行っている時も

 

「お父さん!

お父さん!!

逝かないで~~~!!

お父さ~~~~ん!!!」

 

という悲痛な叫び声が

病棟に響き渡たる事がありました

 

あぁ、母はこの声を

いつも聞いていたのだな・・・

 

どこか自分達とは遠い気がしていた

「死」が

そこには間近にあったのです

 

そんな状況に、

母は耐え切れなくなったのでした

 

薬の投与は2月27日、と決まり

母は親友二人だけと会う事にし

手を握り、麻痺した手で震えた字で

手紙を書き、

別れの時を過ごしました

 

その光景を、

私はしっかりと覚えているのに

なぜか、

最後に自分が母と別れた時の記憶が

すっぽりと無くなっているのです

 

ここ数日、どんなに思い出そうとしても

どうしても思い出せない

 

最後に、私は

母と何を話したのだろう・・・?

 

私をこの世に送り出してくれた母

何でも、思い通りに生きさせてくれた母

衝突しながらも、一番に私を応援してくれた母

 

その母との最後の会話が思い出せない・・・

 

落胆と自己嫌悪に陥りながら

過ごしていたら

27日の夜、珍しく娘が

「寂しいからママと寝る」

と言って一緒に寝る事になったのです

 

もう、私の肩を超えるほど

大きくなった娘

一緒に寝るとベッドの狭い事!

 

でも、その寝顔を見ながら

 

この子がいたから

母を失った辛さや悲しみも

乗り越えられたんだ・・・と

小さな娘になぐさめられ、

励まされた事を思い出し、

涙が止まりませんでした

 

そんな思いを抱えて迎えた

命日の朝

 

目が覚めると

8年前の娘の代わりに息子が

私のベッドに潜り込んでいました

 

息子を起こすと

「かーちゃん!

はやぶさのパズル、

あったよ!」

と言うのです

 

数日前から

北海道新幹線はやぶさの

パズルのピースが一つだけ見当たらず、

ちょうど真ん中辺りが

ぽっかり空いていたのに

今朝、そのピースが

埋まっていたのです

 

私も息子も

家族の誰も

パズルのピースは見つけていないのに!

 

「きっとばあちゃんが

見つけてくれたんだねキラキラ

 

8年目の母の命日は

そんなちょっと嬉しい怪奇現象が

起きました

 

ばあちゃん、

いつも見守ってくれて

ありがとうクローバー

 

今日も

みんな、元気です虹

 

遺影の中のあなたの笑顔が

いつもまでも

優しく見つめてくれているからですね・・・