フランス生まれ育ちの友に「今は知らんが私の世代の日本ではハグやスキンシップによる愛情表現が一般的じゃなかった、肉親でもなかった」と話していたら「じゃあお前はどうやって愛情を感じてきたんだ、その場面には何があった」と訊かれて記憶を辿ったら十中八九食事の場面だった
— 髙崎順子 (@misetemiso) 2024年12月9日
Twitterしてて、色んな価値観が見えると、面白い反面、自分迷子になるというか‥
昔から、一般的な可愛いとか、かっこいいがあまりわかりません。
芸能人などのイケメンとか綺麗の見た目へのキャーキャーいう感性は、私には理解できなくて。
個人的には、垣間見える人間性に惹かれるかどうか‥です。
今となっても、好みかどうかの判断基準しかなくて、
年齢を重ねることで、若けりゃ若いほどみんな可愛く感じるぞ💡と思ったり、
完璧というか、洗練された素晴らしさもわかるけど、なんともいえない不完全なものに対する愛おしさみたいなものもあるし、
可愛い=好きとも限らないから、価値って推し量れないと感じています。
好きとか性欲とか、愛とかの境界線?分類?が、わからなくなってたんだけど、
今日、『「これ食べな」が「お前を愛してるよ」だったのかな』とのポストを見て、
毎日毎日、子どもに「何作ってほしい?」「何食べたい?」「何(食べもの)買って来てほしい?」
と聞いてる私。
実家に帰ると、「(私の好きな食べ物、孫の好きな食べ物)買って来てあるよー」「何食べたい?」と聞く母。
反面、私の父方の祖父母は、「何食わしてくれるんや?」と孫に食べさせようとするより自分が食べたい人でした。
私の父は、昔海外に単身赴任をしていて、たまに帰ってきたときに日本でしか食べれないもの、父が食べたいと言って、父のために母が用意したものを、横取りする祖母を見て、父に対する愛情はないのかと思ったことを思い出しました。
美味しいもの、相手の好きなものを食べさせたいと思う気持ちから、自分から他への愛情は、自覚しやすいかも💡と思ったのでした。
