家に1人でいる時だけ、壁がパンパン鳴ったり
道行く見ず知らずの人にガン見されたり
出かける度に異様にカルトナンバーに遭遇したり。
色んな変な現象にも、だんだん慣れてきました。

こういう日常の中に潜む被害を嫌がらせと受け止め、周囲の人に訴えるのは意味がないなと思っています。証拠集めや加害方法の周知としてネットに上げることは賛成です。

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例えばこういう片目ランプで特徴のあるナンバーが前に割り込んできたーとか。




YouTubeにある被害動画をたまに見ます。中には、かなりこじらせて周りが見えなくなっているものもあるなと思います

こないだ見たのは、警察署にいきなり怒鳴り込んで、被害を訴えていました。
「パトカーがいつもいつも付きまとってる」と。

分かる、確かにその心理は理解できる。

でも、動画を見てると私は対応してる警官の方に同情しました。
話を聞こうとしても、喚き散らして、何言ってるのか分からない。落ち着かせようとすると逆上する。

一般の方から見ると、被害内容自体が理解されにくいものであり、その上周りが見えない言動を取ると、おかしな事言ってる人にしか映りません、残念ながら
追い打ちをかけるように、統合失調症とレッテルを貼ろうとする輩が湧いてくるのも定番ですし。


でも少し違った見方をする一般人もいます。

例えば 車内からすれ違うカルトナンバー車やパトカーを撮影したり、通行中にすれ違う咳払いする人やドアを閉める様子などを撮影したものがあります。
単体で見るとただの変な主張でしかありませんが、複数の動画が上がっていると、違う人、違う地域で「なんで揃いも揃って同じような事言ってるんだろ?」という見方をする人が出てくる。

いわゆる集団ストーカー犯罪には、マニュアルがあるので、同じような主張になり、同じ単語が出てくるんですよね。
…「盗聴されてる」「家に侵入された」「意図的な騒音」「救急車」「パトカー」「カルトナンバー車」「ヘリコプター」「宅配業車」「仄めかし」等々。。

そしてそれを主張する人達も、同じような人だとマニュアル性が見えてきます。
重要人物ではなく、ストーカーなんかされるわけないだろう、ストーカーしてなんの意味があるんだよっていう、ごく普通の人だというケースが殆ど。

そういう全体的な見方が出来るので、被害動画自体は無意味ではないのかな…と思っています。


でも 私はもう日常被害は撮りたくないな。
初期の頃は、それこそ張り付いて撮影していました (今は自宅の防犯カメラとドライブレコーダーのみ回してます)

そのうち面倒くさくなりましたw
時間のムダだし、そんな事に神経使いたくないなと思えてきて、自然と撮影する事も減りました。
そうするうちに、だんだんと被害意識も薄くなりました。

撮影してた頃は、常に周囲に目を光らせて、あれもおかしい、これもおかしい。という感じでした。
今でもおかしいなと思う事はありますが、スルーしたり、バカバカしいと見下し、それ以上そっちに意識を向けないようにしてます。

精神的にラクになりました。
全然ダメージくらってないもんねって無視するのがいい。

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このカオスな犯罪を、どうやったら一般の人々に信じてもらえるのか。
でも私自身 被害者でなかったら、おそらく信じられないし関わりたくないと思ってただろうな。



「それでもボクはやってない」という痴漢冤罪の映画がありますが、被害者の心理としてはあんな感じです。

真実を訴えて証拠画像も揃えた。絶対認めてもらえるはず。
なのに認めてもらえない。
司法も警察もおかしい。

「真実はここにあるのに」って思いながら証言台に立つ感じ。

日常の被害動画で、これを加害だと認めてもらうのは難しい。なので目に見えない、溶け込んでる被害は、そのまま自分の中で消化してます。自分で日常の風景にしてしまいます。
厄介なのは、遠隔からの電磁的被害です。特殊な眼鏡やカメラなんかで、可視化出来ればいいのに
被害者の回りには、ビリビリオーラが出てるかも