横浜 山手の女子校 戦争でマジ酷い目に合ってるし | ektarのピントグラスな日々・デザイン備忘録

横浜 山手の女子校 戦争でマジ酷い目に合ってるし

山手の女子校の長い歴史を眺めてると、

幸せな時期だけではなく、

不幸のどん底の時期もあり、

古い所では、関東大震災で校舎全壊とか酷い目にあっていますが

(まあ、旧横浜市内全域が酷い被害ですけれど)

なんとか立ち直った後に、第二次世界大戦時、

旧軍による校舎接収と横浜空襲で、 再び酷い目にあってしまいます。

 

終戦を迎えるもの近い時期、

戦争の悲劇は、全女学生におよび・・

 

共立学園は

海軍:横浜港湾警備隊の桜隊が

校舎を兵舎として接収。

爆撃で本校舎1棟残し全壊!

 

お隣組 横浜千歳女子商業(後の横浜女学院)

も校舎全部を海軍に貸与(実は徴用?・・・・)

仕方ないので、横浜女子商業の校舎一部を

借用。

可憐な(だったかもしれない)女学生は 東芝とビクターの

工場に徴用の憂き目に・・・・

戦時中の工場勤務って、かなり危ないですよね・・。

 

なんとか全壊は逃れたものの、

横浜千歳女子商業校舎の破損の被害は甚大!

海軍接収時に天井板とか、全部はずされていたらしい。

 

一方、神奈川女子商業(臣道女学院)← (後の横浜女学院)

昭和19年5月 空襲により山下町校舎全焼。

焼け出される。

この空襲後、海軍様は立ち去った模様・・・

その後、なんとか全壊を免れた 千歳女子商業の校舎を借用。

で、千歳女子商業も、ボロボロになってしまった元の校舎に

復帰。

 

というわけで、この2校は、ぼろぼろ校舎に同居していたわけです。

この縁が、終戦後、昭和22年に困り果てた2校が合併した

きっかけの様にも思えますね。

 

 

さて、フェリスも

海軍:横浜港湾警備隊の橘隊に校舎を

兵舎として接収と、横浜市の記録にあります。

生徒は学徒動員で軍需工場へ・・

ファリスの校舎は他の女子校の様な被害は

免れたようで、ラッキーと思えますが、

終戦後、駐留米軍によって

再接収されてしまう悲劇が! アンラッキー。

まわりの学校の建物を米軍みずから全部爆撃で壊して

しまったので、終戦・占領時に周囲にはフェリス以外に

使える建物が残っていなかった気配が。

 

横浜雙葉も

海軍省に校舎の2階以上と地下を病院として

接収。海軍は、使用後は現状復帰するというカラ約束。 

屋根に赤十字マークをつけるので、

爆撃は逃れられと思いきや、

そんな事には関係なく 爆撃されて、横浜空襲で全校舎壊滅!

女生徒は疎開と勤労動員!

海軍は空襲とともにいずこともなく退避して、

その後、何の連絡もなかった と記録にあります。

 

 

山手の丘にはいなかったけど、

山手5シスターズの捜真は、

横浜大空襲で校舎全焼の悲劇にあっています。

場所的に京浜工業地帯の一部だったのが災い?

 

その一方、5シスターズの成美学園(横浜英和)は、

他のシスターズのような校舎全壊の悲劇は免れた模様で、

蒔田周囲に工場・軍施設、は何もなかったのが幸いしたのでしょうか?

山手の丘から蒔田に脱出した大英断の成果かも。

 

結果

全壊  横浜雙葉

     捜真

     神奈川女子商業(臣道女学院)   

 

ほとんど全壊  共立

 

全壊まぬがれボロボロ  横浜女学院(千歳女子)

 

ほとんど無事(多分) フェリス ただし駐留軍に接収    

              成美(横浜英和)

 

 

とまあ、終戦記念日までにはまだ1か月ありますが、

華やかなお嬢様の学園も大変な目に会っていたわけで、

校舎の被害だけではなく、戦災による女学生と一般市民の犠牲も

多大なので、これからこんな事が繰り返されないように願うばかりです。

 

 

山手の丘 横浜大空襲の被災エリア(赤斜線部)

結構 酷いですね。 外人墓地は無事?

この図だと、横浜女子商業も危ない。

 

 

蒔田の成美学園  丘の上だけ、被災を免れているようですね。

蒔田の町も広範囲に被災

青円内が成美学園の校舎と思われます。