写真の 幸せ と 不幸
数年前の、写真はフィルムかデジタルか? 論争は、いまや影をひそめ、
日常的にデジタルの時代に突入してしまった。
完全自動で、一見便利そうなシーンモードまで備え、猫でも、肉球で、シャッターボタンを押しさえ
すれば写真が撮れる時代なのだ。 これが、現代の写真の幸せ。
50年前までは、写真をとること自体が、尊敬にあたいする技術だった つーことを思うと、
シャッター押せばカメラが勝手にとってくれる現代のデジタル写真は、写真というよりは、
スタイルシートのテンプレ化してるような気がするね。
エスカイアの日本語版が、先月号で、写真の特集をしていて、そのなかに、
カメラの自動性能向上で、飛躍的に写真が撮られるようになったけど、写真を見る力は、
確実に減ったのではないか・・・ という記述があり、なるほど、その通りだとの思いを深くした。
これが、現代の写真の不幸なんだよ。
デジタル化が進み、個人の写真を見せる場があまりなかったのが、個人ブログに山ほど
掲載されるようになって、誰でもカメラマン時代なんだけど、
ここでも写真は変質し、写真そのものが表現ではなく、個人のオサレ表現アイテムとしての
写真というのが出てきた。
まあ写真が個人のライフスタイルのアクセサリーと化したわけですね(爆
こうなると、
本屋には、おされ写真の撮り方本 と、プロが教えるプロっぽく撮る方法の本が積んで
あるけど、この類の本は読まずに、アマチュァにしか取れない写真を撮る という
方向に倒れたほうが、プロに負けない強い写真が撮れる と思うんですがね。
誰でもできること になってしまった現代写真にあっては、そこで、作品が認められには、
誰にでもできる写真は撮ってもしょがないね ということになる。
まあ、そんなわヶで、おいらは毎日、悶々としてるんだけど、きめては、猫の手写真でしょうか?(爆