緒形拳さんを偲ぶ 実は自作ヨットビルダーライバル | ektarのピントグラスな日々・デザイン備忘録

緒形拳さんを偲ぶ 実は自作ヨットビルダーライバル

昨日のTVニュースで俳優 緒形拳さんが亡くなられた事を知った。 夜更けニュースを聞いて、思い出した事があるので、備忘録に書いておこう。


僕が知っている緒形拳さんは、俳優としてではなく、気合の入った自作ヨットビルダーとしてなんだ。


かなり以前、海の男(爆 をしていた頃、ヨットを自分の手を作って海に乗り出そう と心に決め、小型のヨット

の図面を自宅の近所の、横浜の山下にある岡本造船に買いにいった。


なんたって、岡本造船の岡本豊氏は、戦後の日本を代表するセーラーであり、ビルダーだったからね。

 若造の僕が、造船所の事務所を訪ねて、小型ディンギーを作りたいという希望を話すと、岡本豊先生みずから、「これがいいね」と、13FTの2人乗り FJクラス を勧めてくれたので、アドヴァイスにしたがい、図面を購入させていただいた。2枚で数千円。 これがね、トレペの鉛筆書きのA2の図面を、ジアゾ式の湿式青焼きコピーで、その場で焼いたもので、ちゃんとした乾式の青焼きじゃないから、だんだん図面が変色して消えてくるんだ。


そういうわけで、残念なんだけど、僕の図面はもう跡形もないだけどね。

で、その場で、図面にセールナンバーを記入してくれた。 セールナンバーが入るということは、まあ、固体の登録のようなもんで、ナンバーまで貰ったら、あとは作るしかないじゃないか・・・。


で、こつこつ、つくりはじめたのだが、ときどき、作り方がわからない所があって、造船所にはたびたび足を運んだ。一人で作っていると、けっこう、大変だし、めげたりもするんだ。

そんなある日、岡本さんが、 「君とね、同じ船を、緒形拳さんが作ってるんだよ。」 と励ましてくれた。

 

緒形拳さんとは、いつも造船所ではすれ違いで、直接お会いできる機会はそんなになかったけれど、岡本さんの話で、ライバルの緒形号の進み具合はいついも気になっていて、まあ、ライバルがいたから、完成できたようなものなんだ。有名人というよりは、完全にヨットビルダーの先輩というノリの会話で、映画演劇関係の話はまったくなかったね。若い僕は、そういう感じがいいなーと思ってました。


僕は、木工・金工も一通りこなせたので、工作的には難しいところはなかったんだけど、一人で作ると、一隻を形にするまでは、かなりのテンションがいる。 といいうのが実感。

作る作業は、実は、自分との対話を続けるとてつもなく地味な作業で、数百本の木ねじをい1本づつ締めてるときとか、小さい助骨の補助パーツを切り出しているときとか、本当に、いつになったら出来るんだ・・・・という心境で、坦々と、禅修行の如く作業を行うしかないんだよ。この精神状態は、何物にも代えがたいものはあって、そんな事から、ヨットを自作した人 というのは、ある山を乗り越えた仲間の共感はあると思う。



緒形拳さんのヨットつくりは、もしかすると、完成させるよりも、その過程に意味があったような雰囲気もあうるんだけど、自作仲間というか、先輩のご冥福をお祈りいたします。