写真の洪水という暴力か? | ektarのピントグラスな日々・デザイン備忘録

写真の洪水という暴力か?

現代に生活する日本人なら、一日に平均して数万枚の写真をみてるんだ という説がある。

まじめにカウントしたことがないから、正確にはわからないが、 雑誌、広告、電車の中、街中、商品パッケージにチラシ、TV,ネットとうとう、無意識のうちに、とてつもない数の写真をみていて、まあ、一種の映像飽和の不感症時代とも思えるね。


まさに、洪水というか、すんごい押しつけ見せられているというか、そんな感じ


誰でも簡単に写真が撮れて、現像焼き付け不要になってしまったこの時代は、押しつけられた超多数の写真の暴力時代ということだ。


そんなわけで、毎日寝る前に、自分の視覚を清めるために、良い写真 を眺めて、視覚を清潔・正常に戻すようにしてるんだ。


誰でも写真が撮れるのは、いいこどだけど、誰でも写真を公開できるネットなんぞは、自分の写真を見せたい というより、 こんな写真を撮れる私ってかっこいいでしょ というのが目的の写真があったりして、まあ、分類的には、いやらしい写真 になるんだけど、後味がよくないんだよね。

そんな写真よりは、技術系カメラマニアのレンズ作例写真のほうがよほどましだ。


カッコいい写真、オサレっぽい写真が 心に残る良い写真というわけではなく、 下手でもいいから、もっと気持ちよく撮ってほしいなあ・・・そのほうが、伝わるものがあったりするんだ という好例は、幼児にカメラを持たせて撮った写真にあったりして、幼児の目でしか取れない 感動的な映像が映っていたりするもんだ。


デッサンと同じで、上手に描いて、ちょっと絵にはセンスがある人と思われよう という邪心が混じると、

いやらしくなるのである。(と、オイラもアトリエで怒られたことがあったね。)


しかし、大人になると、無心で撮る というのは、ものすごく難しいことなんだ。


ついでに、カッコよくみせるために、コントラストをわざとらしくあげたり、カラーバランスをいじくったりするのも、まあ、やめたほうがいい。イヤラシ度が50%増量します。


まあ、慾を捨てる ということなんだけど、 もう一台、α700が欲しいとか(相当気にいってます)、αマウントの、

Gレンズとツアイスのレンズ、もっと欲しいとか、ほしいほしい病はとどまるところをしらないオイラ(自爆