さて、ソーシャル左手の法則では人差し指がターゲットだったわけですが、誰を狙えば良いのでしょう。マーケティング的な観点でいえば自身が持っているコンテンツを最大限買ってくれる層、ということになるのですが、ソーシャルの場合はそこがターゲットではありません。(結果的にそうなれば最高ですが)

共感の最大化が目的なのですから、自分に最大限共感してくれそうな人を考えてみる、というのが一つの正解だと思います。あるいは、これから共感して欲しい人を考えてみる、でもいいかも知れません。大切な事は、よく言われることなのですが【特定の個人を想定してみる】ということが大事です。

例えば・・・

【自分の親友】
遠くに離れて住んでいる幼なじみの親友、というのはとてもソーシャルな想定ターゲットとしてはいい感じだと思います。といいますか、実際にそうした使い方がいちばんフィットするでしょう。離れた友、仲間への想いというのは、とても共感性が高いと思います。

【自分の家族】
これも離れて暮らす家族、という意味です。親、伴侶、子供でそれぞれメッセージは変わるでしょう。プライベートな連絡とは別に、日々感じたこと、想いをアウトプットするのがオススメ。特に、離れて暮らすおばあちゃんに向けて話す想定は、言葉の選び方が平易で分かりやすくなり、いいと思います。

【自分の恩師】
自分の支えになっている言葉、日々の反省点、自分なりに成長したと思えることなどを報告するつもりでポストするのもオススメです。こうした成長記録的な部分、気づき、などへの共感は、とても普遍的で強いものがあると思います。

【自分のライバル】
親友とある意味表裏の関係かもしれません。ただこちらの場合は、年齢や性別関係なしに、共に切磋琢磨したい人、目標としたい人、という定義でしょうか。もちろん攻撃的なメッセージを投げてはいけませんが、結果的により前向きな発言が多くなるでしょう。

どれも、実際にあの人、と自分が思い浮かぶ人がいいです。特定の人。メッセージの本気度が変わるといいますか、言葉の親密さが違うんですね。逆に、初めからいろんな人向けに発言していると、漠然としてきて自分でもモチベーションが下がってくる可能性があります。

もちろん、その相手だけを考えて発言していると、時々炎上とか要らぬところから足をすくわれる場合があります。ツイッター炎上というのはまさに自分が話している相手しか見ていないから起きること。かならず野次馬、それも悪意をもって見ている人がいるのだ、という前提で使いましょう。

ではその野次馬対策ですが、次回ということで。