父の七回忌でした
脳にも肺にも転移して
2年間の壮絶な闘病を経て亡くなりました。
今のニッポンを作ってきた世代の
バリバリモーレツサラリーマンを登り詰めた人でした。
父が末期がんで壮絶闘病なときに
私の立ち上げた会社にも壮絶な転換期が降り掛かり
ブケブケの将来を賭ける大きな選択を迫られるという
大変な事態になりました。そして
その時、私は想定外の第三子妊娠をしており
今思うと、女性としてあんな大変な思いをしたのは
アノ時がピークかもしれません。
父の余命は「出産予定日の半年も前!」と宣告されていて
『この子の出産に間に合わないのか…』と思いつつ
余命時期を知らされていない父に、私はひたすら
「つぎは男の子だからね!楽しみにしててよぉ!」と
励まし続けました。
その時の私は
『絶対!絶対に!父にこのお腹の子をダッコしてもらうんだ!』と
『余命宣告なんか信じない!』と
そればかり真剣に考えていました。
父はツライ闘病をひたすら耐えて
それでもでもずいぶんと頑張ってくれて
『夏が来るまで持たない』という余命宣告をとうに過ぎて
11月1日の出産予定日に、
もう頭がでそうなお腹を抱えて
私が横浜の父の病室を訪ねた時
『お前…ココで産んで行けよ』と
呼吸器を外して、力ない声で言った父のことを
いまでも鮮明に思い出します。
「ココで今産んで、パパと隣のベットにしてもらおうか」
と言う私に、力なく笑った父。。。
そして家に戻り次の日、
3人目にしてはじめて
男の子が生まれました。安産でした。
私と赤ちゃんがちょっと早めの退院をして、
すぐに父のところへ飛んで行くと
父は無言で涙を流して喜んでくれました。
でも、もう父には
新生児を抱っこする力が
無いんですね。。。
…『お前ココで産んでいけよ』
夏まえが余命のはずの父でしたが
11月2日の長男の出産も
年末もお正月も
頑張って生きて
3月11日、親族みんなが立ち会う中で
静かに亡くなりました。
それから6年
その時産まれたコッコは6才になり
春から小学生。
アノ時まだ小さかった娘たちは
もうすっかり中学生です。
親戚達が久しぶりに一同にかいし
声を揃えて、みんなして
『大きくなったねぇーーーーー!』
そうです。子供達。成長しました。
大事な父が亡くなって6年。
やっぱり、生きていてほしかったなー
父がいなくて寂しいなーと
今でも、ときどき思います。
では、みなさま楽しい日曜日の夜を
お過ごし下さいね!
