長男の中学校の卒業式の日、
15年前の3月11日のことを思い出していました。
生後1ヶ月の息子を抱えて、電車の中で東日本大震災に遭った日のことです。
先日、3月11日は長男の中学校の卒業式でした。
でも私にとって3月11日は、もう一つ忘れられない日でもあります。
卒業生である子どもたちが生まれたのは、ちょうど15年前。
本人たちは覚えていなくても、親である私たちにとって「3.11」は決して忘れることのできない日です。
私は23歳のとき、悪性子宮頸がんを患ったことがあります。
心配した母が、秋田大学病院で出産できるよう色々と根回しをしてくれて(笑)、里帰り出産をしました。
3月の1週目に1か月検診を終え、神奈川へ戻る日を3月11日に決め、新幹線の切符を買いました。
在来線に乗る時間は、学生の帰宅時間と重なるのを避けたい。
生後1か月の新生児連れ。
そして秋田はまだ雪深い時期。
朝早く実家を出るのも大変だけれど、
「朝9時台の新幹線に頑張って乗ろう!」
そう決めました。
当日、長男はまるで死んだように眠っていました。
本当に、不思議なくらい。
抱っこして私が動いていないと泣き止まない子でした。
抱っこしたまま私が椅子に座ろうものなら、のけ反って泣くタイプ。
そんな子が、朝からずっと静かに寝ているのです。
新幹線で私が座っているのに寝ている。
おむつ替えをしても寝ている。
在来線に乗っても寝ている。
そして、地震で電車が止まっても寝ている。
この間、一度も授乳もミルクもあげていません。
朝からずっと眠り続けていたからです。
陸橋の上を通過中に地震が発生しました。
電車は緊急停止しましたが、その後ゆっくり動き出し、近くの駅に停まったのが「東北沢」でした。
知らない場所だし、下手に動かない方がいいかなと思い、避難する人がいる中、私は母と電車に残りました。
避難場所を教えてくれる方。
お水をくださる方。
新生児を抱っこしていたからか、見知らぬ人たちが本当に優しく気遣ってくれたのを覚えています。
携帯のワンセグでニュースを見て、初めてとんでもないことが起きていると知りました。
電車に乗っていた人たちが改札の外へ出される中、
新生児を連れていた私たちは暖かい駅員室へ案内してもらえました。
お湯もいただき、暖かい部屋で座ることができて。
ようやく母乳をあげようとしたら、胸は岩のようにガチガチに固くなっていました。
電車がようやく動き出したのは、日付が変わってから。
満員電車で立っていると、男性お二人が私と母に席を譲ってくださったんです。
きっとこの方たちも、この大変な状況の中で疲れて座りたかったはずなのに。
笑顔で席を譲ってくださって…。
あの時のおじさま方の親切で温かなお心遣いは、今でも決して忘れることができません。
ここまで「不幸中の幸い」が重なった日は、この日以外一度もありません。
朝のラクな行動を選び、新幹線を1〜2本遅らせていたらと考えると…
この日の出来事は、今でもトラウマです。
でも同時に、人の温かさを思い出す日でもあります。
そして先日、
あの日ずっと眠っていた赤ちゃんは、中学校を卒業しました。
15年という時間に、ただただ胸がいっぱいです。
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