陽剛在下、睽違のはじめに当り、陽剛をもって下に居り、上に正応を持たぬから本来ならば悔いあるべきであるが、幸いにして不徳の九四が思いがけず心を改めて助けてくれるので悔いが消滅する。たとえて言えば、上に進もうと思いながら乗るべきはやる馬(九四)を見失ったがそれを放っておいて追いかけて行かぬがよい、ひとりでに帰ってきてくれる。また睽違の時はとかく人と反目しがちであるから、その災いを避けるためには、心を広くして、本来ならば避くべき相手である悪人にあってやるくらいであれば咎はない。恕を受けぬように咎を避けるのである。柔順初無応、故によろしく静かに時を待つべきであり行けば蹇難に悩むが、来たって止まれば誉れを得る。よろしく時を待つべきである。陽剛居初、六四に応じて上進しようとする志も強いが、事の済ろうとする初めであるから、慎重に構えて容易に行動を起そうとしない。たとえて言えば、川を渡ろうとする車の車輪を後ろから曳きもどして、前進をはばみ、また同じく川を渡ろうとする狐が本来なら高く尾をかかげて進むべきなのに、その尾を下げて水に濡らしてしまい進み渋っているようなものだが、これほど慎重であれば咎はない。陰柔居初、事いまだ済らざる卦のはじめにいて、しかも自己の才力が乏しいことも考えずに妄進するのだから、川を渡ろうとして失敗しその尾を濡らす狐にたとえられる。吝である。自分の才力の限界を知らない。