陰柔不中正、小人で困窮すること甚しい象。進もうとすれば前には九四の剛がどっしり石のように立ち塞がっていてこれに困しまざるを得ないし、下を見れば九二の剛に乗っていてまるで蒺蔾いばらの上に腰を据えたようなものでいたたまれない。その上正応の陽がないから、我が家に入ってもわが妻は逃れ去ってその姿を見ることはできない。凶である。不安であるからである。妻が家にいないのは縁起でもないことである。陽剛居正、上下の陰に挟まれてその賁飾をうけキラキラツヤツヤとして美しい、しかしその飾りに甘んじ溺れることなくいつまでも貞正を保つことを心がければ吉である。過剛不中、家人を治める者のありかた。治め方を厳しくすれば家人はきゅうきゅう言って悲鳴を上げるが、治め方の厲しさを悔いるぐらいであれば家道を失わずに吉を保つことができる。反対に緩やかすぎて女子供がいつもきゃあきゃあ笑いこけるしまりのなさでは結局において吝である。放縦に流れるよりは、厳格過ぎる方が結局は宜しいことになる。家を治める節度がない。九四と共に卦の中央屋根に例えれば中心の棟であるが過剰不中剛強に過中和の徳を失してその任に堪えられぬから棟が撓み曲がる象。凶である。剛強に過ぎると旗から輔けてやりようがないからである。君子終日乾乾し夕べにて惕若たり。あやうけれども咎なしとは何の謂いぞや。子曰く、君子は徳に進み業を修む。忠心は徳に進む所以なり。辞を修めその誠を立つるは業に居る所以なり。至るを知りてこれを至る。ともに幾べきなり。終わるを知りてこれを終わる、共に義を存するべきなり。この故に上位にありて驕らず、下位にありて憂えず故に乾乾す。その時に因りて惕る。危うしといえども咎なきなり。